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1 雨の日の出来事(胸キュンときめき短編集 1)

 今日はあいにくの雨。このところ晴れの日が続いたから、雨が降って良かったと母は言うけど、私にしてみれば「どうして今日降るの?」と恨み言を言いたくなる。

 今日じゃなくたって良いじゃない。昨日降れば良かったんだし、おとといでも良かった。なんなら明日降ったって良いのに。どうして今日降るの?

 私にとって今日は、せっかく巡り巡ってきた大チャンスの日なの! 憧れの田口さんと、二人きりで得意先回りする日なんだよ、もう!

 本当は、同期のさくらが行く予定だったんだけど、違う仕事が入ったから私が行く事になった。昨日から、胸がドキドキしちゃって。布団の中で、あんな事やこんな事を妄想したりして、なかなか寝られなかったんだから。

 いつもより早く起きて、田口さんに気に入られるために、お化粧だって頑張ったんだから。もしかしていきなりキス、なんて事があるかも知れないから、歯だって念入りに磨いたし、お口くちゅくちゅだってしたんだから。

 それに下着だって、もしかしていきなり、なんて事があるかも知れないから、こういう日のために買っておいた一番高級なやつを着けてきたんだし。

 それなのに、何よ、もう! どうして今日、雨が降るの? お互いの傘が邪魔で、田口さんとの距離が遠くなっちゃうじゃない。

 それに、私と田口さんの身長差がありすぎるから、私の顔が傘に隠れて、田口さんに見てもらえない。もう、せっかく綺麗にしてきたのに。ライバルの女子たちに差をつけたかったのに。

 それに、田口さんの声が優しすぎて、雨の音に消されちゃうのよ。他の男たちと違って、大きな声を張り上げない。いつも穏やかで紳士的。絶対、アリだって踏まないで避けて歩きそうなくらいに優しい人。

 もしかしたら、少女漫画に住んでいるんじゃないかってくらいに透き通って眩しい人。そんな田口さんの声はか細いから、私の耳まで届いてこない。もう、雨のばか!

 きっと、素敵なお話をしてくださっているのに。庶民の私が考えもしないような高尚なお話に違いないのに。もう、雨なんか嫌いだ!

 わああっ! 何、何? どうしたの? えっ、うそ? 傘が破れてる。何で? どうして? さっきの木の枝に引っかかったのかなあ? もう、ちゃんと前見て歩かないから。下ばっかり見てたからだ! もう、嫌だよ、何もかも!

「傘、破れちゃったね。ほら、僕の傘に入って」

 えっ? えっ? うそ? 田口さんが、私の肩を抱き寄せてくれている! 信じられない!

「もっとこっちに来て。ほら、濡れちゃうから」

 え—————? 私、田口さんに抱き寄せられてる。密着しすぎ! これ、本当? うそじゃないの? まぼろし~とか言わないでね。

 ああ、大きな手。暖かい。力強い。男の人の手だわ。しかも、ただの男じゃない。田口さんの手なの!

 ああ、良かった! 今日は雨で良かった! 雨の日がこんなに楽しいなんて、生まれて初めてじゃないかな。雨さん、今日は降ってくれてありがとう! 雨の日、だ~い好き!

胸キュンときめき短編集

1 雨の日の出来事
2 折り畳み傘
3 雨の河川敷
4 約束の日
5 雨の日の思い出
6 野球部の彼
7 ハネムーンの朝
8 雨の日の初恋
9 クリスマスの贈り物
10 幼馴染み


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