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紹介したいnote記事「夏の雪」
冬月剣太郎 猫詩人🐈さんの「夏の雪」という記事を紹介します。
夏でも
わたしの心に雪が降る
眼には視えない雪が降る
その雪は
世の中の雑音を消し去ってくれる
暗い過去の記憶を白く塗りつぶしてくれる
そして
わたし自身も消し去ってくれる
読んだ瞬間、心が強烈に躍らされました。先ほど私自身が「私のお気に入りのフレーズ」という記事を投稿したばかりでしたので。
「ツイッターの「小池一夫」とは何者だったのか?」という記事を読んで以来、冬月さんの存在が私の心の中に強烈に残りました。
小池一夫さんが「子連れ狼」などの有名な作品の原作者である事はもちろん、私の好きな漫画「オークション・ハウス」や「実験人形ダミー・オスカー」の原作者である事も知っています。
でも「有名な作家の先生」というイメージしかありませんでした。実際に身近に接した冬月さんの言葉だからこそ、小池一夫さんの真実の姿を知る事が出来ました。
「自己顕示欲と偽善の体現者」
「社員に対しては平気で罵詈雑言を浴びせかける、裏表のひじょうに激しい二枚舌の持ち主」
「気にいらないことがあるとすぐに激昂する、神経質にして複雑、時と場合によっては狡猾な人物」
「嘘に対する罪悪感など微塵もなかった」
漫画「オークション・ハウス」や「実験人形ダミー・オスカー」を読んでいますと、暴力的な描写や性的な描写が次から次へと展開されます。作者の小池さん自身に内包されているからこそ作品の中で表現されるのだと、冬月さんの証言を読んで納得しました。
一方で、冬月さんから受けるイメージは「温かさ」です。猫のアイコンで、名前に”猫詩人”とつけていらっしゃいます。猫は「自由」で「繊細」で「平和」で「甘えたがり」ですから、冬月さんもそのような方なのかなと推察します。
今回、取り上げさせていただいた「夏の雪」について感じた内容を述べさせていただきます。
まず、8行という短い文章でまとめている点に「潔さ」を感じます。余計な事をつらつらと書かず「これが全てだ」と言わんばかりです。かと言って、決して好戦的ではありません。
「私」を「わたし」と書いています。「わたし」とする事で「柔らかさ」を感じます。男性的と言うより、女性的なイメージです。主人公は女性なのかも知れません。あるいは男性であるなら、優しい男性なのでしょう。
よく見ると、挿絵があります。夏服の女性が夜のベンチに座って、降り続く雪を見上げている絵です。主人子は女性なんですね。
平仮名から思い浮かぶのは、平安時代の貴族でしょうか。 「私」ではなく「わたし」とする事で、雅な世界に誘われる予感がしないでしょうか? 大河ドラマ「光る君へ」が好きな私は、これだけで胸が弾みます。
表題の「夏の雪」から皆さんは何を感じられるでしょうか。夏に雪は降りません。降るとしたら異常気象です。夏は暑いから夏なのであって、雪が降りようがないのです。
と言う事は、夏に雪が降っていると言う事は異常事態です。彼女は「私は今、大変なんだよ!」と訴えているのです。
しかも続けて「眼には視えない雪が降る」と書いてあります。眼に視えないと言う事は、誰にも気づいてもらえません。誰からも助けてもらえる当てのない彼女は、絶望の中にいます。
次に「その雪は世の中の雑音を消し去ってくれる」「暗い過去の記憶を白く塗りつぶしてくれる」と続きます。雪は、冷たく冷えた彼女の心を象徴していますが、一方で消したい過去を塗りつぶしてくれるありがたい存在であるとも言えます。
更に「そして、わたし自身も消し去ってくれる」と言って締めくくっています。
最後の一文はとても衝撃的です。わたしを消し去るとは「この世から消し去る」と言う意味でしょうか。そのように受け止める方も多いと思います。最初に私もそのように感じたのですが、何度も読み返すうちに「過去のわたしを消し去る」という意味ではないかと思いました。
過去にとらわれる事をやめて、新しい自分に生まれ変わって出発しようという、彼女の決意が込められている気がしました。
皆さんはどう思いますか?
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