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「最近の若者は〜」ってよく言われるけど本当に若者はダメなの?


昔から続く世代間の対立

父はよく「最近の若者は」と言って、仕事に真面目に取り組まず、言われたことしかできないといった話をします。

でも、本当に今の時代の若者はダメなのでしょうか。

いいえ。今の若者が特別ダメというわけではないでしょう。いつの時代の若者もそう言われてきました。

実際、父の世代でも「最近の若者はダメだ」と言われていました。さらに昔の小説を読んでも、「最近の若者は」と嘆く記述が多く見られます。

この現象は日本特有のものではなく、古代エジプトの遺跡にも「近頃の若者は」という言葉が存在しています。

例えば、エジプトの石碑には「若者は尊敬の念がなく、規律を守らない」といった内容が刻まれています。『枕草子』にも、若者の言葉遣いを嘆く記述が見られます。

つまりもし若者がダメという言葉が正しいのなら、過去にどんどん遡っていって最終的には古代エジプトなんかよりももっと前の人類の方が賢いというふうになります。

むしろここ数十年をみれば教育の水準、世界の知識の蓄積量などが向上しているため、平均的にみれば新しい世代は前の世代よりも賢くなっていると思われます。

なぜ世代間の対立が起こる?

なぜこうした現象が起こるのでしょうか?それは、世代ごとに価値観が異なるためです。

ある時代に正しいとされている価値観が変わると、上の世代は自分たちの価値観と違う若者を批判しがちです。

例えば、父の世代は「努力と忍耐」が美徳とされていましたが、今の若者は「効率とバランス」を重視します。この違いが摩擦を生みます。

また、技術の進歩も対立を引き起こします。今の若い世代はデジタルネイティブとして育ち、パソコンやスマートフォンが生活の一部として成長しました。

しかし、上の世代はこの技術に対する理解が浅いため、「若者は常にスマホばかり見ている」と批判することがあります。これは、技術の進化に対する適応力の差から生じる摩擦です。

そして若者も自分たちの価値観と違う上の世代を「老害」として批判することがあります。こうして、世代間の対立が生まれるのです。

世代間の対立は悪いこと?

ぼくも若者の一人ですが、最近の小中高生はあまり政治やニュースに関心がないように見え、知識がないと感じることがあります。

自分も人のことは言えませんが、自分の価値観が正しいと思い込んで、違う価値観を持つ人たちを一括りにして「ダメだ」と決めつけるのは良くないでしょう。

しかし、果たして世代間の対立は本当に解決すべき問題なのでしょうか?

ぼくは対立自体が社会の変化と進歩を促進する役割を果たしているとも考えられます。

若者が新しい価値観や技術を持ち込み、古い価値観に挑戦することで社会は進化してきました。

例えば、過去にはインターネットやスマートフォンの普及が一部の年長者から批判されましたが、これらの技術は現代社会に不可欠なものとなっています。

一方で、世代間の対立が過度に激化すると社会の分断を招く危険性もあります。

互いに理解し合うことなく、自分たちの価値観を押し付け合うだけでは、対話の機会が失われ、社会全体が硬直化してしまう恐れがあります。

そして若者よりも年長者の方が力を持っていることが多いので、大きな対立の発生によって優秀な若者が潰されてしまう危険性があります。

その被害者の代表としては、当時時価最高額一兆円近くまで押し上げた堀江貴文さんが挙げられます。

当時の彼のビジョンは本当に先進的で、現在の当たり前になっているビジネスが多くあります。

日本が発展していくためには堀江さんの力は必要でしたが、彼があまりに時代を先取りした価値観やビジョンをもっていたため、対立し潰されてしまいました。

このように、世代間の対立には両面があります。対立があることで新しい価値観が生まれ、社会が進化する一方で、過度な対立は発展の衰退を招くリスクも伴います。

どちらが正しいというわけではなく、この現象をどう捉えるかは人それぞれです。重要なのは、自分の価値観に固執せず、他の視点を持つことの大切さを理解することかもしれません。


あなたはこの世代間の対立についてどう思いますか?

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