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実写版『リトル・マーメイド』感想:人魚ってなに食べてるの?

遅ればせながら実写版の『リトル・マーメイド』を観た。
とても気になったことがあったので記述しておく。


■実写とはいえ…

公開時主人公の印象が原作アニメと異なるという感想でとても話題になった今作、私が観て一番衝撃だったのは、セバスチャンとフランダーの見た目である。
セバスチャンは主人公アリエルのお目付け役、フランダーはアリエルの友達という設定だ。アニメ作品ではデフォルメを活かしてとても表情豊かでユーモラスに描かれている。
でも今作では実写ということもあり、そのままカニ(セバスチャン)と魚(フランダー)である。
これが本当に衝撃だった。
見比べてみてほしい。

公式HPより

アニメ映画ではセバスチャンは経験を積んだ少し口うるさい初老の世話焼きな男性のイメージ、フランダーは天真爛漫で心配性な弟のような友達のイメージで観ていた。
もちろん見た目はカニと魚なのだが、観ていると表情や仕草で無意識に人間だっららこんな人物…と想像できる。
でも今回はその親しみやイメージの先に甲殻類と魚類が先行する。
これである。

公式HPより

そりゃ実写だから見た目がリアルになるのは想像できる。
ではどんな見た目が良かったのかと言われるとうまく説明できないが…
ただ、スクリーンに彼らが出てくる度、現実に引き戻される。
そう、現実に。だって海潜ったらいそうだし。
フランダーなんて群れて泳いでたら見分けつかなそうじゃん。
モブの魚とどこが違うの。

そこでふと疑問に思った。

「あれ…人魚ってなに食べてるんだろう…」

アニメ版を観ていた時には抱かなかった疑問。
おそらく今回はセバスチャンとフランダーを見てその見た目から擬人化ような親しみではなくリアルな方のイメージが勝ってしまったんだろう。
つまり、食材。

■人魚の主食とは

人魚だって日々何かを食べているはず。少し想像してみる。
多分絶対に魚は食べない。フランダーの仲間を食べる訳にはいかない。
甲殻類も食べない。セバスチャンの仲間を食べないでほしい。
こうなると映画でセリフのなかったクラゲやヒトデかな…と思うが多分違う。だってセバスチャンのミュージカルに参加してたし。
意思疎通が図れる生物は多分食べない。
残るは海藻かな…つまり、人魚はベジタリアンというのが私の見解です。

ただ、悪役であるタコの人魚アースラは魔法で下僕にした人魚を食べてたので例外はあるんだろう。
(悪役は古来何をしても許される。人魚だって食べちゃう。枠から外れた自由な存在だから。かっこいい)

もう一つ、人魚の食材として可能性があるのはサメやシャチ、人魚を襲うプレデター的な存在だろう。
冒頭でアリエルはサメに襲われる。サメは人魚を捕食しようと襲ってくるし、アリエルも端から対話する素振りはない。
おそらくサメとは言葉が通じないんだろう。そう思うと、人魚がサメを食べる想像がつく。
おそらく複数人で狩りが行われる。サメを捕るのは命がけで、でも楽しい仕事だろう。サメが捕れれば肉が食べられる。宴会も開かれるだろう。貴重な肉なので保存するのかもしれない。

などと考えていると、言葉で意思疎通できる相手は自然に捕食対象から外れていることがわかる。
言葉を話す相手は捕食対象になり得ないのだ。(時代や地域差もあると思うけど)それを再度認識できたいい映画だった。

■おまけ「フランドン農学校の豚」という傑作について

言葉で意思疎通が図れる相手を殺して食うとはどういうことか、
それを体験できるのが宮沢賢治作「フランドン農学校の豚」という短編である。豚の視点から描かれた作品で、農学校で飼われている豚は人間の言葉を理解し、話せるのである。
もうこれだけでどんな話か想像できると思う。

過去2度読んだ。読むたび胸が締め付けられ、沸き起こった感情が固定化される。日常生活でふと思い出しては読んだときの感情が鮮やかに襲ってきてしばしなにもできなくなる。
それが何年経っても色褪せない。私にとってはそういう作品だった。
読んだことある人には伝わると思う。文章がまた美しいんですよね。
傑作だと思うので未読の方は読んでみてほしい。

■脱線:『ズートピア』『BEASTARS』『ハクメイとミコチ』『SING』『ライオンキング』

動物が社会を形成する作品を思い出して食べ物の観点から考えてみた。
実在する動物の性質をどこまで採用しているかで物語のテーマが変わっているように思う。
順番に見ていこう。

・『BEASTARS』『ズートピア』捕食者と非捕食者
肉食動物と草食動物が言葉を介し共に生活する社会。
外見はもちろん捕食者、非捕食者という性質も名言している。
「肉食側が本能とどう折り合いをつけるか」が重要なテーマになっていると思う。そりゃ軋轢も生まれるし対立や猜疑、葛藤もあるだろう。面白くないわけない。

・『ハクメイとミコチ』同じものを共に味わうために
身長10センチ前後のこびと、哺乳類、爬虫類、昆虫、虫たちが言葉を介し社会を形成している世界。生活そのものが物語で食も重要なテーマとなっている。草食動物、肉食動物共に登場し仲良く暮らしている。虫もいるよ。
では出てくる料理は野菜だけかというと肉料理も普通に登場する。

なんの肉なのか?それは、魚貝類である。
魚貝類とは唯一言葉が通じないし、魚釣りや貝焼きの描写もある。

この世界では肉食、草食という性質の違いは採用されていない。
それよりも外見の特徴、大きい、小さいなどがよく取り上げられている印象だ。体が大きくても小さくても、食を介して物語は進んでいく。
同じ料理を心から味わうため、捕食者、非捕食者という性質は邪魔なのだ。
よく練られた心地よい作品。
ちなみに鳥類は言葉は話せないが意思疎通は頑張ればできる。

・『SING』ドーナツおいしい
動物の姿で描かれているが人間社会そのもの。
外見的特徴が動物というだけで、その違いは人間社会の国籍や人種の違いとして簡単に置き換えられる。
出てくる料理はシリアルやドーナツくらい(だったはず)
食は特にテーマではないので肉食とか草食とか関係ない。

ではなぜ見た目を動物にしたのかと言えば、リアルな人間でやると配役が難しいからだろう。どの役をどの人種、国籍の人で配役するかでステレオタイプが助長されるかもしれないし、本当に表現したい事が表現できなくなる。
敢えて動物にすることで、年齢、性別、体型や性格の特徴となり、人種がぼかされる。もしかするとそれぞれモデルがあるのかもしれないが、知らなくても普通に楽しめる。
子どもから大人まで広く観客にアピールするため、敢えて動物を選んだのだと思う。多様な人種が共に生活するアメリカならではの映画だ。
見てみて楽しいしね。同じことは『ズートピア』にも言えるだろう。
選曲が神。

・『ライオンキング』寓話の世界
本能とか色々考えちゃだめ。
動物映画じゃないから。これは寓話だから。
古代から続く古典的英雄譚「ゆきて帰りし物語」を動物に当てはめて紡がれる物語だから。
冒頭で主人公のシンバが登場して国中にお披露目するときに草食動物たちがひれ伏しているのを見たとしても、ご都合主義とか思っちゃだめ。
狩られる動物がなんで逃げないんだとか考えちゃだめ。
そういうんじゃないから。
この世界は英雄のために存在する舞台だから。

と、ここまで書いたが、ふとライオンの王たちが何を食べているのか考察できるかもと思ったので考えてみた。

①他の国に住む草食動物たち
自国の領土内の草食動物は食べないが(国民だし)国が別なら食べるかもしれない。おそらく群れで狩りにでかけて別の国の草食動物を捕食している。
国と国の骨肉の争い。まさに古代。

②自国の草食動物たち
自国の領土内の草食動物を普通に食べる。
だって昔から為政者は国民を食い物にしてきたでしょう?
国民は搾取されても滅多なことでは逆らえない。生活もあるし、行く宛もない。請われれば黙って命を差し出すしかない。
王子が生まれたのだって喜ばないと後で何をされるかわからない。
いつの世もそう。そんな寓話。

③ヌー
ヌーだけ言葉通じないので食べてもいいことになってる説。

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ファンタジー作品の描かれない設定についてあれこれ言うのは野暮だとわかってるけど、意味もなく考えてしまうので気づいたらまた書き足してみる。

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