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ポリコレは何を守っているのか?

ポリコレ=ポリティカルコレクトネス
現代においてテレビ番組、映画、漫画、ゲームに至るまで表現活動をする上で避けて通れないものである。
Wikipediaから引用すると定義はこうだ。

“ポリティカル・コレクトネスとは、社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策などを表す言葉の総称であり、人種、信条、性別、体型などの違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現や用語を使用することを指す。「政治的正しさ」「政治的妥当性」などと訳される”

Wikipedia

しばしばポリコレに配慮しすぎなどと議論が巻き起こるが、では一体ポリコレは何を守っているのか考えてみた。


①あなた

ポリコレが第一に守っているのはあなた、つまり作品の受け取り手である。
観客、視聴者、ユーザーは国籍、人種、年齢問わず様々存在する。
もしあなたが、面白そうだからと何気なくみた作品であなたの属性に基づく差別意識からくる差別表現を受け取ったらどう思うだろうか。
まだこんな表現が使われているなんてと悲しくなるだろう。憤りを覚えるかもしれない。この表現を面白いと思っている人々がいるという事実に絶望するかもしれない。
きっとそれはあなただけではなく同じ立場の人々全員の絶望となるだろう。
また、このような作品が公開され得るという作り手、配給元への不信感にもつながるかもしれない。
一方で、差別的な作品が作られる事への弊害は差別の再生産ということにもなる。
もし、観客がその差別表現に対して無知だったら?その差別自体あることを知らなかったとしたらどうだろう。
観客が子どもだったら?その作品が世に出ているという事実から普通に学習するだろう。それが差別表現と知らずに意識に刷り込まれ、面白いものとして再度他人に同じ表現を使うかもしれない。
一度意識に刷り込まれると認識を改めるのは難しい。
作品の与える影響はとても大きい。
ポリコレは新たな差別からあなたを守っているのである。

②作品

①と同じくらい大事な事。ポリコレは作品を守っている。
・作品全体
その作品に差別表現が含まれていた場合、内容がどんなに感動的なものであっても当事者からすると傷付けられた感情が残るだろう。
差別的な作品という悪い評判の代名詞として使われるかもしれない。
ポリコレは作品の評価を守っている。

・作品のキャラクターたち
一番強調したい。ポリコレが守るのは作品に出てくるキャラクターである。
もし物語に出てくるキャラクターが不当な差別からくる冗談に巻き込まれていたら?誰がそのキャラクターを守るのだろう。そのキャラクターは差別を受け入れたまま永遠に存在し続けるのである。
キャラクターを愛する視聴者にとっても苦しいはずだ。
私の好きなキャラがなぜこんな不当な扱いを受けるのか?観ている私は何もできない。つらすぎる。

また、キャラクター自身が知らずに差別的な表現を喋らされていたら?本当は優しく、心穏やかな設定のキャラクターであるはずなのに、作者の差別的な無意識から差別的なセリフや行動をし始めたらどうだろう。
作り手の意識や無意識は必ずキャラクターに影響する。
作者とキャラクターは別の人物のはずななのに作り手の差別意識を背負わされるのである。
それが意図しないものであったら双方にとって悲劇である。
キャラクターは作り手の力を借りないと何も行動できない。
ポリコレを守ることは作品全体、そして作品の登場人物を守ることである。

③作り手、会社

最後に作り手である。
ポリコレに配慮した作品を作ることは作者を守ることに繋がる。
受け手に配慮し、物語の内容やキャラクターの言動について丁寧に考え抜かれた作品は観客の信頼を得る。
それはこの世で最も美しいもののひとつである。そして脆いものでもある。
作品や自分が不当に扱われていると感じた瞬間、観客は離れていく。
作者への不信感が募っていく。
もしそれが、作品のテーマとは違う部分の些細なシーンでも同じである。
物語の本質がいくら美しく見応えのあるものであっても、そこと違う部分で評価が下がっては本意ではないだろう。
あまりに勿体無い。
また、作り手、その会社は差別を是とする会社という社会的な評価も下がるだろう。それはスポンサーにも波及し、その作品に関わる人全てに悪影響を及ぼすだろう。
社会的、金額的損失は計り知れない。
ポリコレを守ることは作品に関わる全ての人を守ることなのである。

■ポリコレは表現の幅を狭めるか?

ポリコレは表現活動を制限するのだろうか?
昔はよくあった表現が今は見られずつまらないなどの意見を聞くことは多い。
私は、表現の幅はむしろ広がると思う。
そして、今までなかった新しい表現や魅力的な作品が多く生まれるだろうと思っている。
制約が多いほど、表現は無限に広がる。
矛盾しているだろうか?
人は制約があるほど、工夫をする。また、作品作りにおいては、制約が魅力を引き出す。
例えば、魅力的なキャラクターには必ずといっていいほど制約(弱点)がある。
制約が多様な縛りとなり、多くの個性的なキャラクターが生まれているのである。これが無敵の完璧なキャラクターだらけだったら面白みに欠けるだろう。

そもそも、ポリコレに違反しているような表現がその物語にとってそこまで重要かという疑問もある。
重要でなければ、元からその表現を除いて別の方法をとればいいし、テーマに関わる重要な部分であれば、どうすれば差別的にならないか表現を工夫すればいい。そして、その工夫を演出という。
優れた演出は差別という難しいテーマも普遍的で時代を越える作品に昇華する。
ポリコレを守ることは優れた表現活動において障害にはならないのである。

大丈夫、ポリコレを守ることであなたの表現活動は制限されない。
どんどん新しい作品を作っていけばいいと思う。

■自分が表現したい事が制限される悲しみについて

もしあなたが絵描きで、かっこいいマークだなと自ら考えついて使用していたものが、実は歴史的に差別の象徴として世界で使用禁止(或いは特定の地域で使用を控える)されていた場合どうすればいいのだろう。
せっかく描いたのにと悲しい気持ちになるかもしれない。憤りも覚えるだろう。
自分の知らない所で、知らないうちに表現が禁止されているなんて、許せない、やるせない気持ちにもなると思う。
その気持はもっともで、誰にも否定されるものではない。
ただ、公の場で使用できないことは事実である。
そのマークがまだ差別的な意味を持っている限り、あなたの作品であなたの意図と関係なく傷付けられる人が存在しているから。
本当に理不尽なことだが、これは社会で生きる上はで仕方ない。
どうしてもそのマークを使いたいなら、その作品は公表せず、自分1人のみが見られる環境で描くしかない。
もうこれは、どうしようもないのだ。
悲しくても、憤っても、どうしようもない。
ではあなたの怒りは無駄なのだろうか。社会から無視されるしかないのだろうか。
私はそうでもないと思う。

■怒りを向ける矛先は?
あなたはこうも感じるだろう。
マークを差別的だと言っている人々に対して、いつまで過剰反応しているのかと。
過去のことを持ち出して、いつまで被害者ぶっているのか、それによって関係ない自分の表現まで制限されている。
ふざけるなよと。

その怒りは無駄ではない。無駄ではないが、差別の元を考えてみよう。
そもそもそのマークを差別的なシンボルへと導いたものは誰なのか。
元はただの記号だったはずだ。それに意味を持たせたのはどういう現象か?
考えるべきはそこである。
そして怒りはそこにこそ向けるべきではないだろうか。
表現を禁止せざるを得なくなった原因の過去の加害者へ。
未だに、その怒りが許されていない事に心を向けよう。
現代においてその表現を使うと誰かが傷つき、そのマークが無意味なものになっていないということは差別はまだ続いている。
おそらく、禁止されている表現はたくさんあるが、実は許されている、意味のなくなった表現もたくさんあるはずだ。

怒りの矛先は過去の至らなさと、また現在進行形への差別へと向けよう。
今この瞬間も、この先使用できなくなる表現が差別感情によって生まれつつあるかもしれない。
今まで何でもなかった意匠が、差別を助長するシンボルマークへと勝手に書き換えられるかもしれない。絶対に許してはならない。
我々の世代では避けて行こう。
これ以上、差別感情によって禁止される表現を増やしてはならない。

■もし間違ってしまったら?

ポリコレと言ってもあらゆる差別に対応するのは実際難しいだろう。
間違えたり、他人から指摘されて初めて気づくこともある。
差別意識を自分で認識するのはとても困難だ。
これはできる範囲で気をつければいいと思う。
そして間違えたら誠意を持って謝罪し、過ちを認めればいいと思う。
なぜそれが非難されたか、考えるいい機会ともなる。
間違いを犯したとき、その対応によってあなたの評価はより高まるだろう。
企業で言えば謝罪会見ほど、その会社の価値が図れる場もないと思う。
それほど、内情がよく現れてしまう。
炎上したらパニックになるし、平常ではいられないと思う。
まず落ち着いて、信頼する人に相談しよう。
冷静に、時間をかけてどこが悪かったか、本当に悪いのか、謂れのない攻撃ではないかなどきちんと分析して対応していけばいいと思う。

以上が、私が考えたポリコレは何を守っているかの概要だ。
差別表現といっても、シンボルマークを使用する場合、禁止された言葉を使用する場合、差別行動を容認する場合など、多岐に渡るのでこれがそうだと言えるものではない。
具体例は出したくなかったので表現が曖昧になってしまった部分もあると思う。また、専門的に学習した訳ではないため、誤った人認識もあるかもしれない。もし何か気づいた点があればぜひコメントにてご教授願いたい。

今後も、なにか思いついたら書き足すかもしれない。

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