見出し画像

パパはずっと「ママのだんなさん」だと思っていたので

今回は、私と私の父・パパとのエピソードです。

▼このnoteの登場人物

私が小学3年生と呼ばれていた頃のお話なのですが、ある日、突然パパに「出かけるよ」と言われて車に乗り込みました。

平日は朝5時には家を出て、帰りは0時前かそれを過ぎてから……と、かなり忙しくしていたパパですが、仕事がお休みの土日にはたくさん遊んでくれました。ですから、突然の「出かけるよ」にも、私はちっとも疑問を抱くことなく、素直に「どこに行くんだろ?」とワクワクしているだけだったのですが、帰りの私は不機嫌どころか嫌悪感丸出しで、パパとは会話らしい会話もしなかったと記憶しています。

だって、まさか「出かけるよ」の後に「女の人と」だとは考えもしなかったので。

けれど、にこにこ笑う女性と、その女性の後ろに隠れるようにして立っていた男の子を見た時。はあ?誰だよ!と思っても。

その二人に「お待たせ」と言ったパパに、手を引かれた時。パパ、私こんなの聞いてないよ!帰る!!と思っても。

お行儀の良い「私」には、笑顔を浮かべながら「こんにちは」と挨拶をする他ありませんでした。

「私」は賢かった

自分で言うと間抜けですし、蓋を開けてみれば「私」は間違いなく間抜けです。けれど、この時、小学校3年生をしていた「私」は賢かったと思います。

▼「私」について

少なくとも、あの場面では。

確か、横浜だったかと思います。私とパパ、名前も知らない(名乗られただろうとは思いますが、もう覚えてはいませんから)女性と、その女性の息子さん(私と同い年だったか、一つ違いだったか?)の4人で、まずは食事をしました。多分。

何の説明もなしに引き合わされたので「私」は、この場でどう振る舞うべきか?これを考えるのに精一杯で、何をどうしたとか、細かいことは記憶にありません。ただ、向かい合って座ったシーンがあったのは確かなので、おそらく食事から始まったはずです。

パパは、私の向かいに座る男の子に気を使いながらも話しかけていて、男の子は自分の隣に座る彼のお母さんをチラチラ見ながら、それに答えていました。

「私」はもちろん、邪魔もしなければ下手に口を開くこともせず、にこにこしていたと記憶しています。だって、そうしていなければ「いい子」ではないので。少なくとも、パパに恥ずかしい思いはさせたくなかったように思います。

「あんなにすごい人がパパなんだから、まぁちゃんだって将来はすごい人になれるよ」

こうした期待が自分に寄せられているのを「私」は誰より知っていました。だから「私」は「いい子」「賢い子」でいるべき。自分でそう思って、そのように振る舞うことを自然と覚えました。

子どもの考えることだから、子どもがすることだから、大したことはない?

いいえ。大人に囲まれていれば「どうすれば大人が喜ぶのか」を子どもは学びます。「私」はそうでした。

お行儀良くしなさいだなんて、一切言われたことはありません。だって、よそのおうちにお邪魔する時は、挨拶をすることも玄関で靴を揃えることも、言われる前にする子でした。忙しいパパに代わって私の面倒を見てくれていたおじいちゃんは「私」の幼少期について、こう言っていました。

「大人しくていい子だったから、これと言って記憶がない」と。

お行儀が良くていい子、賢い子だった「私」は、エスカレーターは最後に乗りました。

知らない女性と知らない男の子が乗って、パパがその後ろの段に乗って、私はその後ろの段に乗りました。パパが男の子に構って、男の子が自分のお母さんにひっつきながら返事をして、それを笑って見ている知らない女性を後ろから見つめながら「私」は男の子に対して思いました。

「感じの悪い子」

実際、男の子の反応の方が「子どもらしい」という点では正しかったと思います。けれど、この頃の「私」には、彼の振る舞いは「空気が読めないクソガキ」にしか見えなかったのです。

「私」はバカだった

終始、脇役に徹した私は、最後のお別れの時も笑顔でした。もちろん。

けれど、女性と男の子を送って、車内にパパと二人きりになった瞬間、私は言いました。

「パパ、あの人と結婚なんてしないよね」と。

パパは少し黙ってから「しないよ」と答えて、車を走らせました。その後、私もパパも口を開かなかったし、知らない女性と知らない男の子とは、これっきり。しばらくの間、これが話題になることも一切ありませんでした。

後々になって聞いてみると、やっぱりこれは「お見合い」の一種で、そもそもパパはこの頃、いわゆる結婚相談所に登録していたんだそうです。理由は「私」にはお母さんがいた方がいい、と思ったから。

パパが、ママの話を私に10年以上しなかったのも「ママのことを話したら、余計にさみしい思いをさせると思ったから」でした。

そして、私は私で「パパにママのことを聞いたら、パパがきっと悲しい思いをするから」という理由で聞くことはせず、2016年の6月1日まで、お互いの気持ちがすれ違ったまま、パパと私の間では「ママの話はタブー」になっていました。

だから、ハタチを過ぎても知らなかったのです。死別でも、いわゆるバツイチになるなんて。いや、実際に知らない女性と引き合わされて、その直後に自分から「あの人と結婚なんてしないよね」なんて言ったくせに?という話なのですが。

おそらく、あの日の「私」は、正しくはこう言いたかったんだと思います。

「パパはママの旦那さんだから、あの人とは結婚なんてしないよね」と。

それにしたって、私はバカでした。昔も、今だってバカです。パパはいつだって、私を一番に優先してくれました。ママが突然いなくなってしまったことは、パパの方がずっと悲しかったはずです。それでも、私を一番に愛してくれた。今も変わらず、愛し続けてくれている。

自分が結婚をして、子どもを強く望むようになってから、本当の意味で分かってきたように思います。あくまでも「ように思う」だけで、分かった、なんて偉そうな口はきけません。

けれど、結婚しても「私」はパパの娘です。その娘の立場からすると、真に理解できるところまではいかずとも、感じることはできます。親からの愛情の偉大さを。そして、やはり思います。

「私」がこの世で一番に尊敬しているのは、他でもない、「私」のパパだと。

「うちのパパ、すごいの!」と3歳の「私」はまだ言いたいので、お時間があれば以下の記事もぜひ読んでみてください。

▼パパとのエピソード


私という「個」を応援してくださると嬉しいです。このnoteで行っていきたいあなたの「進化」のお手伝いにて、恩返しできればと思います。