9/1 0:00を迎えて
こんばんは。
今日は院試が終わったのでようやく復活させた週1バイトの関係で実家。姉も夜勤でいない。父は去年から定年まで海外赴任で韓国にいて、その半年後に母も追いかけるように父の元へ行ったので、今国内にいる家族は姉だけ。元々4人家族で住んでいたこの一見普通の3LDKのマンションの一室は姉の初めての一人暮らし物件となり、私は大学から徒歩15分圏内に下宿。
さて、8月31日の夜にとNHKのEテレでやっているけれど、敢えて私は9月1日ということにさせていただきます。いつも日記を書いている明るくメンヘラ全開のブログでは、ブログ仲間が去年くらいに取材を受けたということもあってこの番組のことは知っていた。
こう言っては本当に失礼だけれど、私は見ない。一種の逃げです。怖いからだ。思い出すこととか、未だに人の顔色を窺っていることが成長できていない証拠だと言われているみたいな、変な罪悪感、それからその番組を見たことで影響されてしまう自分をコントロールできないことが主な原因だ。
この記事を書こうと思い立ったのもついさっきで、友人のnoteを読んだから。大学…と言っても私の場合は学部か修士か博士かを分けて書かないといけないな苦笑
学部の時のサークルの友人で、すごく可愛くて私は絶対になれないと思って羨ましくもあった。でもその記事を読んで、強い子だったと思わされた。
偉いよね、なんか。私は思い出すのが嫌で逃げる。いじめや不登校、自傷行為、メンヘラを取り上げたドキュメンタリーを見て勝手に自分で落ち込んだりどうせ…と斜に構える本当に面倒くさい奴だ。
彼女の記事を見て驚いたのは彼女も過去に自傷行為をしていたことで、私が同じことをしていた時とほぼ同じ時期だったこと。私もそれなりに色々できそうなことはやっていた。
リスカは当たり前のように1日に10本の線の引き、アムカ・レグカ、頸動脈にも手を出したことがある。それから頭をひたすら壁に叩きつけたり、風呂場で眩暈がするまで絞首とか平気でやっていた。ただ、私には明言するようなイジメはなかった。
じゃあ一体何がそんなに私を自傷行為へと掻き立てたのだろうか。
まあ…小学校でシカトはされた。それ以来ものすごく周りの目を気にするようになったのがきっかけで、受験して入学した私立の中高一貫校では内部生が2/3を占めるなか外部生として入ったため小学校からの内部生と溶け込む術がわからなかった。部活の時に、中学一年生という入部したばかりでできないことがあるのは当然のことなのに、私には居場所なんてないとトイレに立てこもって先輩を困らせたこともある。友達にひたすら謝り続けて手紙で謝罪したり連日電話で謝罪したりしたこともある。
今思い返したら相当怖い。ストーカーかよっていう。
少し落ち着いたものの、自傷行為を覚えるまでに時間は掛からず、自傷という認識さえなかったしそんなことは容易にできた。ある時号泣しながらリスカしていたところを母に見つかって精神科にお世話になることとなり今のメンヘラ街道まっしぐらになってしまったわけなのですが、大学でわりと鍛えられました。高校の時通ったクリニックでは、「リスカは10代の女の子だったらやっちゃうよね、乙女の嗜みだよね」という一見擁護しているのかと思えば完全にフォローにすらなっていない診断。イマジナリーフレンドも「多重人格ではありません、大丈夫です、何の異常もありません(ニッコリ)」とのことで意味のないカウンセリングを続けた。金の無駄だと思ったから、自分から笑顔でもう大丈夫です、と言ってそのクリニックを去った。私の医者嫌いの原因は恐らくこれ。元々冗談をまともに受け止めてしまうので聞き流すことができず、100言われたら100のダメージを受けているような人だった。
それを変えてくれたのは大学だし未だに顔色を伺うような癖も残っているけれど、コイツやべえレベルの時より全然マシになってる筈。と思いたい。
結局パニック発症したり突然ADHDのグレーゾーンという宣告を受けたり、自律神経失調症とわりと色々あった。大学院で休学したときは今までの両親の前でのいい子ちゃんを崩してしまうという恐怖があった。
それで鬱が悪化したりそのストレスによる突発性難聴を2回やったり、まあODとかやったね。すべてが無気力。拒食気味にもなり休学前に比べて体重も10㎏は落ちています。自分の周りが順調(そうに見える)に前に進んでいることに対する自分への劣等感。同じようにお隣のバンドサークルの後輩も私と同じパニック持ちだけれど、今は働いてるし婚約も決まってて今日会いに行くんだけど。
彼女にしろ同期の彼女にしろ、なぜ彼女たちは精神的なダメージやそういった傷ついた経験を持ち、時に私と重なる精神疾患とも捉えることができるかもしれないものを抱えながら社会貢献をし働いたりすることができて私にはできないのか。
わからなかった。悔しかったし、絶望した。
皆にはできることが私にはできない。
家族も彼氏も、今の状態では「普通」の正社員という雇用形態で働くことや週5のフルタイム勤務は不可能だと言う。
通院中の身で、薬を飲んでひたすら自分の研究しかできないしやる気も起きない。仕事は自分の専門に関わることならしたかった。けれど難しい。
やりたい仕事が研究職なんだと気付いたのはつい最近のことだ。今でこそ割り切れるけれど、その当時はとにかく劣等感と罪悪感と絶望感とで自分を責めることしか頭にないのだ。それで一杯になる。
今はありがたいことに理解者もいる。私が研究職につきたいことを理解してくれて博士後期課程への進学という我儘を許してくれて遠距離というハードルを上げる結果となったけれど、付き合う前から私が今治療中で通院していることも知っていたし彼自身もそういった経験があるから理解があるんだろうか。
少なくとも私はもうODをしていないし、しないという約束をした。自傷行為に関する全てをだ。禁煙してからもう1か月は経つんじゃないだろうか。マイナーなものが好きで煙草よりも葉巻が好きで、自分を痛めつけることが快感で葉巻なのに肺に煙を入れていた。酒もノンアル、まあ、これに関しては軽くドクターストップがかかっているので仕方ないのだが。
そんなクソみたいな私を諭すように説教をする彼氏は、何度もODをして(その時は確か眠剤含めて60錠くらいのODだったかな…)24時間ほど目を覚まさなかった私が起きた時に泣いた。もう二度と目を覚まさないんじゃないかと思った、と言われた。その時にようやく、自傷行為というものがどれだけ身勝手なものかを肌で、目で、五感で感じ取った。
なぜこの人は泣いてるんだろうとさえ思った。なぜ私なんかのために泣くんだろうとも思った。
「自分の大切な人が自分を傷つけるということがどれだけ相手を傷つけるのか想像してみなよ」
これは私が何度目かの約束を破って自ら懺悔しに行ったとき、喫煙所で彼氏に言われた言葉だった。じゃあ俺がそういうことしたらどうする?と聞かれて、私は「やだ!」と子供のように即答した。それと同じことだと言われてそれを思い知るまで、自分の都合で自分を大切にしてくれている人たちを傷つけていたことに全く気付かなかったし、そんな自覚すらなかった。
千鳥足で研究室の後輩に付き添われながら辿り付いた彼氏の家で24時間ほど寝続けた挙句、話しかけてもゆすっても目覚めなかったのにようやくゾンビのように起き上がった私を見て心底安堵して泣いてくれた彼氏と一緒に食べた、起きてすぐのゴディバのチョコレートアイスは甘ったるくて、おいしくて、少しだけ涙が混じって苦かった。
それはずっと家族にも内緒にしているけれど、薬剤師の姉には薬の管理ができていないと怒られる。
大丈夫、もうこんなことしないから。
9月1日を迎えて、私は約束しよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?