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海辺のカフカから騎士団長殺し、 続く極北まで。

「海辺のカフカ」から


最初に村上春樹の作品を手に取ったのは中学2年生のころだった。
「海辺のカフカ」だ。
多分裏表紙の「世界一タフな15歳になる」というフレーズが興味をそそり、親に買ってもらった記憶がある。

普段は漫画しか読まない、ましてや小説など挿入イラストが入ってるものしか読まないクソガキが、いきなり「村上作品を買ってクレメンス」といってくるもんだから親としても喜んで買ってやったに違いないと思う。

「海辺のカフカ」は上・下の2冊あり、多分どちらも一週間かけて読んだ気がする。
正直言ってこの作品が一番面白かった(気がする)
主人公も自分と同じ中学生だったからかは知らないがめちゃくちゃに感化されたのをおぼえている。
こんな落ち着いてエッチができる中学生がいてたまるものかと、童貞だった僕には衝撃的な作品だった。
「海辺のカフカ」を読んだ私は私生活においても村上ワールドに感化されまくった。

学校では常にポーカーフェイスを貫き、昼休みは図書館で難しそうな本(黄ばんだ分厚い本とか)を真剣そうに読んだ。もちろん一人称は俺から「僕」に、ママも母さん呼びになった。

完全に村上エレクトロニクスパレードに迷い込んだ僕は、次なるアトラクションを求め学校図書館に迷い込んだ。


「ねじまき鳥クロニクル」とH氏の変遷(へんせん)


「あいつ、また難しそうなの読んでる。」

「俺、知ってる、あれエッチなシーンが出てくる本だ。」

「じゃあ、あいつ、エッチじゃん。エッチマンだ。

そうだ。

はたから見れば僕はエッチマンかもしれない。義務教育が行われる場で性的描写の記載がある小説を読んでいる孤独な一匹エッチマンだ。
だから、お前らとは違う。

ただただ、性行為の描写に一喜一憂し、興奮するだけのお子様クソガキシャイボーイとは違い、僕はその行為から人物の心情を読み取ることができ、物語のスパイスとして一緒に味わうことができてい。いわばセラピスト。
エッチ・セラピストといっても過言ではないだろう。
10年前のぼくにお前はエッチ・セラピストだったんだぞ。と心からいってやりたいと思う。(いまでも童貞だぞとは伝えず。)

そんな拗らせた心境をパワーに僕は村上作品を読みこんだ。。
2冊目に選んだ本は、「ねじまき鳥クロニクル」だ。3部作の村上春樹先生8作目の超大作となっている。

実際何でもよかったのだが、図書館でこの本を物色していると、所々にこの本、「ねじまき鳥クロニクル」にボールペンで本を読んだ所感のようなものが記載されていたのだ。
そして特筆すべきはその所感内容だ。
村上春樹の描く性的描写に負けず劣らずの表現がふんだんに盛り込まれており、もう、あれだ、とってもエッチだったのだ。

まさか僕のほかにもう一匹のエッチマン(以後、H氏とする)がいたとは。
このH氏、なにか物語に異変が起こったり、性的行為が行われるたびにボールペンで罫線を引き、横に自身の所感を書いているのである。
しかも3部作全部。脱帽である。

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