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なぜ怒る上司は存在し続けるのか

怒ることはよくないことだ。怒る側にとっても、怒られる側にとっても。そんな考え方が社会的多数の考え方になって久しいが、それでも怒る上司はいなくならない。なぜか?考えてみたい。
そして、この文章は怒られる側向けの文章である。怒る側が怒らないようにしよう、というアンガーマネジメントの概念は広がりつつあるが、そもそも怒る上司は本気で怒ることが必要だと思っているので、アンガーマネジメントを本気で取り入れたりはしない。そこで働く部下は自らが自らを守らなければならない。どう守ればよいか考えたい。

怒る理由がある

怒ることには、少なくとも当人にとってはもっともな理由がある。
・自分が怒られて成長した記憶がある
・怒ると部下が成長する実感がある
・怒ることはエネルギー効率が良い
1つずつ見ていこう。

自分が怒られて成長した記憶がある

今、組織で上司といわれる職責についている人の多くが、自分が怒られて育っている。そして人は自分の選択が正しかったと思うことで、認知的不協和を避ける。つまり、自分が受けてきた教育が正しかったと思うバイアスが自然とかかる。よって、今上司の多くは、過去自分が怒られてきており、それは良いことだったと思う傾向があると言える。
「昔は今より全然厳しかった。あのしごきがあったから、今の自分がある。正直なところ、今の若いものにはもっと厳しく接したほうが成長させられるだろうが、時代がそれを許さない」と思っているが、大っぴらに言えない人は多い。それは実のところ、厳しくされずに育った経験をしているわけではないので、論理的には検証されていないが、そこを疑ってしまうと今の自分を否定したり、よりよい可能性があったことを示唆してしまうため、認知的不協和・・・嫌な気持ちが発生してしまうのだ。だから、自分の怒られた時代には意味があったと思いたい気持ちが発生する。すると、自然と自分が上司になった現在、下の者にも厳しく指導をしたいという気持ちが芽生えてしまう。

もちろん本人が厳しい環境の下でうつ病を発症したり、望まない状況で退職するなどよい評価ができない経験を積んだ場合は別だ。そうした場合は、同じ過ちを繰り返さないようにする上司になる可能性がある。

怒ると部下が成長する実感がある

怒る上司は、たいていの場合、本気で起こった方が部下が成長すると思っている。そしてそれは自分が指導をした経験に裏打ちされていると信じている。つまり、部下を怒ると次のタイミングで成長しており、一方で部下を誉めても、次のタイミングでパフォーマンスが下がる。

これは端的に言って、ランダム性が引き起こす誤謬である。つまり、人のパフォーマンスはそもそも安定していない。高い時と低い時がある。時期にもよる。そして怒る時はパフォーマンスが低い時であり、ほめる時はパフォーマンスが高い時だ。すると当然、怒った後はパフォーマンスが改善し、ほめた後はパフォーマンスが低下する可能性が高い。それによって効果を勘違いしてしまうのだ。そしていったんそのような認識を持ってしまうと、それに当てはまる事例だけを意識するようになるため、ますます怒った際の効果を認識しやすくなり、過信するようになる。

こうした認知バイアスは世の中に広く存在しているが、認知バイアスという概念そのものが広まっていないため、こうした点を指摘することは往々にして逆効果である。「そうかもしれないけど自分の場合は絶対正しい。なぜならそう確信しているから」といった反応は、極めて一般的である。

怒ることはエネルギー効率が良い

最後に、怒ることはエネルギー効率が良い。少なくともほかの手段と比べて、目的を達成するために使うエネルギーは相対的に少ないと言える。特に大人数を対象にした際は顕著に有効である。

そもそも人間には怒る仕組みがセットされている。社会性の中で怒ることで自分の負の感情を相手に伝え、相手方が現状を放置することに対する警告を発する。論理的回路を通さないため、脳の負荷が小さい。頭に血が上って、血流が回っていることで大変なエネルギーを使っているように見えるが、実はそうでもない。怒りとは、高速道路のような、効率のよい血流回路なのだ。怒らずに相手を動かそうとすれば、説得したり、相手の言う話に耳を傾けて共感してそれを態度に表すなどしなければならない。これは大変に疲れる作業でもあるし、時間を使うので大人数を対象にすると限界が来てしまう。よって、「相手に言うことを聞かせる・命令通り動かす」を大量にやりたいときに、怒ることが最も楽なのだ。

そして、効率的であるということは、大人数でないときも使える。つまり一人に対して激しく怒り続けることも、実はそれほどエネルギーを消費しない。あるいは、エネルギーを使い続けることが容易である、と言った方がいいかもしれない。人によっては、何かの事件の被害者になったり近親者が傷つけられたりして、怒りが何年も高いレベルで維持されるようなケースもあるが、逆に言えば怒りとはそれほど維持しやすい仕組みであると言えるだろう。

怒る上司にどう対峙すればよいのか

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さて、では怒られる側としてはどうすればよいのか。意外だが、怒られる場合でも「聞き上手」スキルは活用できる。もちろん一番いいのは怒る側が聞き上手になって、相手の言うことに耳を傾けることだ。これをすれば、怒ることは極めて難しくなる。ただ、上述の通り、怒ることを正当化している人たちが怒るので、実現は難しい。

では聞き手はどのように聞き上手スキルを活用するのか。もちろん「なるほど、あなたは私に対して怒っているんですね」というわけではない。そんなことをしたらもっと怒られる。

具体的にやるべきことは、こうだ。

・怒りの裏にある出来事に共感をする
・怒っている人の経歴に興味を持つ
・自分の気持ちを見つめる

怒りの裏にある状況に共感をする

怒られている当事者が、怒っている人の気持ちを理解し、共感し、受容することはできない。当然のことながらそれは自分の存在を否定することになるため、感情的に許されない行為であるからだ(ちなみに、夫婦の間で傾聴が難しいのも同様の理由である。利害関係がある場合の傾聴は難易度が高い)。

しかしながら、それを一歩踏み込んで、相手から見える自分を除き、相手が置かれている状況だけを見ることができれば、少しは落ち着いて考えられる。例えば、この後この上司が社長に怒られる状況や、取引先と再度交渉をする必要が待っていることなどだ。相手の怒りがこちらに向かうことの是非はおいておいて、受容できる感情を見つけ出す、という作業自体は、「聞き上手」そのものの行為である。これができると、「上司がしんどい気持ちでいること」が理解でき、それがあれば怒られることに対する納得感、すくなくとも反発を和らげることはできる。ただし、ここで反省しすぎるタイプの人は、それでますます自分がつらくなってしまう可能性があるので、そこには注意してほしい。後は当事者として、どうすれば上司の負担感を減らすことができるか、の問題解決に意識を向けられれば、怒られることそれ自体の辛さはすでに主要な問題ではなくなっている。

怒っている人の経歴に興味を持つ

なぜ上司が怒るのか、で記述した一番目の理由、「自分が怒られて成長した経験がある」だ。怒る上司にはほぼ間違いなくそのような経験があるので、その時の経験を、怒られていないときに聞き上手を使って聞いておく。そこに対して共感的理解・論理的理解ができていれば、怒ってしまうメカニズムについての納得感が生まれるため、怒りそのものに対してもやり過ごすことがしやすくなる。

「この人がこうなってしまうのは、こういう理由があるからだ」と思える相手を憎むことは難しいし、それがわかっている中でぶつけられる怒りは、相対的にとらえることができる。

ただし、このことを指摘して上司に考えを改めさせようとはしないこと。自分の経験を下の人間に否定されること腹立たしいことはないし、改まることはない。ただこちらが一方的に理解するだけを目指す。

自分の気持ちを見つめる

最後に、聞き上手という技法を自分に向けてみる。マインドフルネスと言ってもいいかもしれない。怒られた時のその気持ちをなるべく素直にそのまま言語化してみる。すると、なぜ怒られることが嫌なのかが見えてくる。その中で適切な批判や注意は受け入れればよい。

そうでない言説については、上記2つの方法で理解ができれば、自分に対するものではない言葉として受け入れずにおいておくことができる。「カギカッコに入れる」という方法だ。

上記2つとセットで行うことで、単純な怒られた後のマインドフルネスとは違う効用を見出すことができるだろう。相手の心の背景を知ることで、自分の心に起きた作用をも、客観しできるようになる。

最後に

ここでは、怒る人に対する否定をしたいわけでも、怒る人がいることの正当性を説明したかったわけでもない。怒る人が一定の比率でいることには理由がある、ということを共有したい。また、その前提で対応をしなければ、「あの上司は良くない上司だ」で終わってしまう。思考停止をしないための考え方の枠組みだととらえてもらえると嬉しい。



神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/