【読書日記】11/21 詩のような数の物語。「アリになった数学者/森田真生」
アリになった数学者
森田真生 文 脇坂克二 絵
福音館書店 たくさんのふしぎ
「博士の愛した数式/小川洋子」は、記憶をなくした数学者の物語でしたが、こちらは「アリになった数学者」の物語。
「数学」にも天賦の才というものがあるらしい、スポーツや芸術のように。だから芸術の女神・ミューズ九姉妹が司っているのだ、と納得した高校時代。
それ以来、数学は憧憬の対象であり、はるか遠くに仰ぎ見る存在となりました。
数学者の森田氏は、数学の女神に見放された縁なき衆生に、やさしく救済の手を差し伸べるがごとく、数学の美しさ楽しさをわかりやすく伝えてくれるありがたいお方です。
その森田氏がこどもたちに向けて「数とはなにか」をテーマとして書いた絵本が本書です。
こんなにも難しい命題にこんなにも詩的な解。
本書は、このように始まります。
「ぼく」は、数学者です。
まず「数学」とはそもそも何か、ということが語られます。
「算数」で学ぶのは、数や図形を便利につかう方法であり、「数学」は、「数」とはなにか「図形」とはなにか、と考える学問なのだ、と。
「数」はどこにも存在していない。
「3本のペン」とか、「3匹の羊」はいても「3そのもの」はどこにもない、その「存在しないもの」について研究するのが数学なのです。
「数学」を研究していた「ぼく」がアリになり、アリは「数」を理解するだろうか、と考えます。
最初に出会ったアリは、「ひとつめ」の草の実、「ふたつめ」の草の実、という概念を理解してくれませんでした。
意気消沈していた「ぼく」の前にあでやかなアリが現れます。
雨上がりの、朝露のきらめく野原で「ぼく」とあでやかなアリが語り合う様子は、さながらアリの姿をとった数学の女神と対話しているような静かで美しく厳かな趣き。
そして、アリの世界にも数学があるか、と問う「ぼく」に答える
女神アリは去り、残された「ぼく」は考えます
「人間にはアリの数学がわからない」けれども、「人間が知っている数もいまだに変化しつづけている」のだから「人間がアリや、クラゲや、草や木々の数学を理解できるようになる日が絶対にこないとはいえない」と。
小さなアリであるぼくや小さな一粒の露が、何万もの露と広大な宇宙と響き合う。
「数」とは何か、という問いは、自分が世界をどのように見ているのか、自分とは何か、という問いへと変容していきます。
ほう、とためいきをつきたくなる奥深い数の世界。
かつて「数学」の才は無い、と早々に理解をあきらめて、私の人生には「算数」で充分と割り切ってきました。
しかし、最近になって「数」もまた世界を表現する「ことば」であり「詩」であると今更ながら蒙を啓かされ、「数」の美しさに魅せられています。