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タスクシュートという相棒 【ユタカジン】

かめりんです。
区切りの良い日でもなんでもないですが、タスクシュートとの関係性についてちょっと考えてみようと思います。


僕は、タスクシュートに出会ってから3年半以上が経ちます。
タスクシュートを実践し始めて1ヶ月くらいはログを取ったり取らなかったりした日々がありましたが、それ以降は基本的に24時間欠かさずログを取り続けています。

もちろん、ログの粗さはまちまちだったり、リアルタイムに取れなかったりと「きれいな」タスクシュートではありません。

ただ、タスクシュートをしていなかったときにどうやって生活していたのか思い出すのに苦労するくらい、タスクシュートが毎日の生活の相棒となっています。

そのことを改めて認識したとき、ふと思うことがあります。
タスクシュートをしなくなるとき、できなくなるときは来るのだろうか、と。

普段はツールに頼りきり

改めて、タスクシュートというのはメソッドの名称です。
様々に存在するタスクシュートの公式ツールは、そのメソッドを実践するために生み出されてきました。

ただ、ツールとメソッドが別個に存在するとはいえ、その実践にはやはり既存のツールを使うのが便利です。
特に、しっくりくるツールをずっと使っていると、ルーチンは洗練されているし、いろんな設定が自分用に最適化されているしで、いろんな場面でとても便利です。

便利だからこそ毎日のタスクシュートが難なく実践できるわけですが、
それはある意味、ツールに大きな部分を依存しているということになります。
何事もなくツールが使えているときは全く問題はないのですが、やはりなんらかの出来事によってそのツールが突如使えなくなることはどうしても起こり得ると思います。

たとえば、身近でよくあることとしてはシステム障害のようなもの。

僕は、タスクシュートを実践する上で、自分で作ったTaskChute for Notionを愛用しています。しかし、Notionはたまにシステム障害が発生したりします。
データベースが開けなくなったり、ページは開けるもののオフラインで更新ができなかったり。Notionユーザーならなんとなく思い当たる節はあるでしょう。

そういうときは、リアルタイムにログを取るのは一旦諦めて、復旧したらざっくりと過去のログを入れ直したりします。
厄介だなあと思いつつも、しばらくしたら復旧することが多いので特別なんらかの手を打つことはあまりありません。
もっとも、比較的長期で続くようだったら別のツールに一時避難すれば良いだけなので、それくらいでタスクシュートから離れる理由にはなりません。

あるいは、あまり想像したいことではありませんが、極端なケースとして大きな災害に見舞われてしまうことだってあり得ます。これは、僕自身はタスクシュートを始めてから経験がありません。

災害の大きさによっては、物理的にスマホやPCにアクセスできない状況がずっと続くかもしれません。
そういうときはもはやいつも通りの生活はできないでしょう。
スマホやPCが使えないので、基本的に仕事は何もできない。仕事どころか生きていくことに精一杯という状況になってしまうかもしれません。

言うまでもなく、普段デジタルのツールを使っていれば、そのツールを使うことはできなくなります。

そういう極端な状況に陥ったら、さすがにタスクシュートを実践しなくなってしまうだろうか?

この自問に対しても、僕はNoという答えがしっくりきます。

どんな状況でもタスクシュートはそこに存在する

これまでの生活が成り立たない。非日常が日常化してしまう。
そういうときでも、タスクシュートはなんとか生き延びていく相棒としてそこに存在してくれるような気がしています。

もちろん、今まで使ってきたツールによってもたらされる便利さは失われてしまうでしょう。

たとえばログをキーボード操作でサクッと取れたり、ルーチンが自動で生成されていたりすることは叶いません。あるいは、これまでのログを参照して今日のプランに反映させたり、プロジェクトノートやルーチンに紐づけて残しておいたメモなどを見る、といったこともできなくなります。

しかし、そういった便利機能が失われてもなお、タスクシュートによって今に集中しその時々のやることに集中していけるだろうな、という確信めいたものがあります。

そう思えるのには2つ理由があります。

まず第一に、タスクシュートというのはメソッドであり、そのメソッドのことを理解しているからです。

ツールがあると便利ですが、特別凝ったツールがなくても実践できます。紙とペンのような、なんらかの記録を残せるものさえあれば最低限のタスクシュートは実践できます。

タスクシュートは、「プラン」「ログ」「ルーチン」の3要素がサイクルを成しているメソッドです。このサイクルを小さくでも回していければ立派なタスクシュートです。
今やることを書き起こして(プラン)、それを実践するときに開始時刻と終了時刻を追記し(ログ)、それをもとに明日以降の生活へと反映させる(ルーチン)。

上で「非日常が日常化する」と書きましたが、どんな非常事態でもしばらくすれば(生きてさえすれば)おそらくなんらかの落ち着いた状態に収束するはずです。

人間は習慣の生き物ですし、生きていく上ではなんらかのリズムが存在します。
非日常のなかに潜むその習慣やリズムを顕在化させ、それに基づいていち早く新たな日常を形作る。
極端な状況ではかなり精神が揺らぐはずですが、そのリズムが見出せればなんとか安定した状態で1日1日を繋いでいくことはできるでしょう。そしてタスクシュートはその状況を作るのにいち早く作用します。

やはり、タスクシュートは相棒として僕の生活を支えてくれる気がしてきます。


もう1つの理由は、これまでのタスクシュートの実践を通じて、どんなに生活が崩れたと思ってもまた立て直せることをログを通じて知っているからです。

もちろん大災害ほどではありませんが、これまで何度もいわゆる生活の「崩れ」を経験してました。

生活の崩れというのは、仕事で疲れ切ってどうしても何も手をつける気が起きず夜更かししてしまう「リベンジ夜更かし」のようなことや、コロナに罹って日中の生活が何もできなくなったりしたときのようなものです。

どんなときでも、めちゃくちゃ粗くともログは取ってきて、またそこから少しずつタスクシュートサイクルを回して少しずつ生活を立て直してきました。一度や二度に限ったことではありません。

そしてこれはあやふやな記憶などではなく、しっかりと過去のログとして残っています。またそれを見返してきたので、その事実が自分の中で息づいています。

もちろん、過去のことはあくまで過去のこと。過去から現在や未来を推測することはできても、それらを一切保証してくれはしません。

しかし、過去のことを自分で認識し、自分の自信に変えて、今このときもこれからもきっと乗り越えていけると言い聞かせる、あるいは「信じる」ことはできると思います。

タスクシュートは、そういった自信の形成を手助けしてくれます。

タスクシュートを自ら手放さない

あれこれ書いてきましたが、実際にそうなるかどうかはその時にならないとわかりません。

自分が生きている間は大きな災害は起きないかもしれませんし、(そうであることを祈るばかり)、未来はそういう事態に陥ってもスマホなどが当たり前に使えるくらいの盤石なインフラが整備されているかもしれません(だとしたら嬉しい)。

未来はさっぱりわかりません。でも、タスクシュートというメソッドさえ知っていれば、自らタスクシュートを手放さなければ、どんな事態も乗り越えられるだろうなと思うことができています。

自分の中で確固たるものがあるととても安心します。そしてそれがなんらかの環境に極力依存しないもの、自分の中で理解と納得があるものだと強いです。

タスクシュートは(特に最近は)そのツールの便利さに目を向けがちですが(それ自体はめちゃくちゃ楽しいのでたくさん盛り上がってほしい)、自分のことをしっかりと支えてくれる相棒としてそばにいてもらうために、メソッドとしての側面も意識しながら、日々の使い方を深めていってほしいなと思います。

もしもしかめよ かめりんでした。


本記事はタスクシュート協会メンバーが運営する「ユタカジン」への寄稿記事です。
ユタカジンとは「自分らしい時間的豊かさを追求する」をテーマとして、時間や習慣、タスクシュートなどなどにまつわるお話が連載されていくマガジンです。
自分なりの豊かな時間の使い方に関するヒントがたくさん詰まっています。
今後もたくさん更新されていくので「ユタカジン」をフォローして日々の楽しみにしてくれると嬉しいです。

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