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東京は朝の七時…の日

おはようございます。

手の乾燥がマシになってきて突然春を感じた次第。

それでも深夜から朝は寒くて、それが良いところだ。

起きると7時台ということが連続している。

僕は6年間くらい5時台に起きることが習慣化していたのでこれは堕落の表れだろう。

とはいえ夜遅くにも勉強できるようになったのは悪いことじゃない。

いつも寝てしまった時間に起きていられるのはちょっと嬉しい。

でも完全に太ってきたので、太ってきたという事実がひたすらにストレスだ。

どうせ家の周りは常に過疎状態だし、走るとか歩くとかしないとな。

作戦を考えるのはいつも楽しい

こういうことを言うと、僕のあれこれがバレてしまうのではないかと危惧しているが、作戦を考えているとき、実行の直前が何事だって楽しい。

考えるだけ考えておいて実現しない、自称アーティストの飲み会みたいな現象を僕ひとりの中で起こしているのだが、目標を掲げそこまでのプロセスを描くことが一番の娯楽だと思う。

そこから行動に移して、起業させるとか修行に出るみたいなことをすれば成功する可能性はあるのだろう。でもそれを敢えて机上の空論のまま、忘れ去ったり脇に置いておくからこそ、娯楽たらしめるのである。

こういうお店をやりたいとか、漠然と起業しちゃおっかなーということを考えるだけ。

誰も傷つかないし、そもそも気付かない。

でも記念日は別だー。

やり遂げ…、遂行しなければ。

結局、プレゼントを考える~渡すまでの期間って1ヶ月弱ある。

そうなると相手が誰であれ、1年の1/4くらいは記念日のことを頭の片隅においているのだろうな。

健全なことだ。

本を買いたいがどこに行けばいい?

本屋って今やってるのだろうか。

僕の家の近くは、都会とも田舎ともつかぬ環境で、駅の周囲だけがひたすら盛り上がっている。

本屋はあれど、駅ビルの中に入っているなどして、百貨店が休業している今、開いていないかもしれない。

テレビブロスが定期刊行の最終巻だそうで、なんか買わなきゃなと思った。

厳密に言えば、そこで連載してる人の本を集めているから、それも持っておかないとという義務感も相まっている。

紙の本って、僕みたいな人がいるからいっこうに廃れる気配を見せないんだと思う。

もはや小説やエッセイといった概念的な、内容と読者という関係ではなく、本というグッズとコレクターみたいなものに変化している気がする。

いや、昔から小説家の誰かのファンであった人はそうなのだろうが。

集めて持っておく、サインを貰った・第何刷か、という付加価値を持ってグッズと化している。

いつものコーナー

今日のはほぼほぼ母が作りました。

僕もいくらか手伝いはしたけどもね。

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つけ麺です。

スープは映り込みが怖かったので排除。

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卵が最高だった。

(僕はこのタイムウォッチャーなどをした)

ではまた明日!

今日はきびきび動きたいと思います。

とはいえ、あんまり外に出ると怒られちゃうので、遠慮がちに、ね。

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