置かれた場所が暑すぎて咲けなかった


始めに
 突然だが、私の嫌いな名言ランキング第一位は「Bloom where you are planted. (置かれた場所で咲きなさい)」である。自分で咲く場所を選べない植物を見習って云々という話だと思うのだが、まず私はれっきとした動物、それも直立二足歩行を修得したホモ・サピエンスである。動くなと言うのならこの二本の脚の存在意義は一体何なのだ。そもそも植物の中には光発芽植物なるものたちがいる。彼らは地上が生育可能な温度・酸素・水条件になるまで地中で種子のまま、長い場合は何百年でも休眠状態を継続するらしい。件の唾棄すべき迷言を嬉々として吐く者たちは彼らの存在を知っているのか? 或いはあれは「置かれた場所で(何年経っても良いから気が向いたときに)咲きなさい」の省略形なのか? では我々は己を取り巻く環境が気に食わなければその環境が勝手に変わってくれるまで、或いはそれに適応する気になるまで、自室に籠り惰眠を貪ることが許されるのか? 少なくとも最後の問に対する答えはノーである。この国の未来を背負う私たち若者が就学・就労のいずれをも放棄することを、この社会は許してくれない。
 それなら、それなら咲く場所くらい選ばせてくれても良いではないか。選択・移動に際しての辛酸ならいくらでも舐める。たとえ自ら選んで咲いた土地が強風の吹き荒れるおよそ生育不可能な場所であったとしても、それを知らずに死んでいくよりはきっと遥かに幸福だろう。
 私の仮面浪人生としての一年は、上記のような思考に基づき、暴風、雹、霰、小石、他人の吐いた唾の吹き荒れる暗闇を彷徨い続けた日々であった。そのあらましを以下に書き記していくことにする。この駄文が仮面浪人生たちの役に少しでも立てれば、或いは誰かの愉快な暇つぶしになれば望外の悦びである。
 その前に、愛すべき多(・)浪たちに向けて念のため言っておく。「受験が人生のすべてでないことくらい痛いほど分かっているが、あの大学に合格しない限り自分は今後一生前を向いて生きていくことはできないだろう」と思っている者以外が何かを犠牲にしてまで仮面浪人などすべきではない。あと、置かれた場所で咲ける者が一番偉い。それから、前述した名言(笑)についての妄言は私立中高、予備校一年分、沖縄での学費や独り暮らしの費用等々を全て親に出してもらった人間が言って良いことではない。というわけでお母さん、その節は本当に申し訳ありませんでした。
 

ここから先は

5,285字

*2023年度11月祭で販売した「【令和5年度】京都大学仮面浪人体験記 第5弾」のnote版です。元はPDFファイルだった関係で、一部読み…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?