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アパートがレストランになった日

「ウィ、シェフ!」と夫が10歳の息子に言う。
「お飲み物は何になさいますか?」と8歳の娘が言う。
この日、我が家は1日限りのフレンチレストランになった。

“食べることが好き”
これが私たち家族のキャッチコピーだ。
夫はフレンチの料理人を経て、今はパティシエ。
休みの日にも料理やお菓子を作ってくれる根っからの“食の人”である。
おかげで、家族みんなが見事なまでの食いしん坊になった。

例えば、大福をひとつ貰っても、4つに分けて全員が食べる。
4種類のケーキを買ったら、全部を4等分して全員が全種類を味わう。
そうして平和を保ち、感想を言い合って満足している。

そんな私たちが、レストランが舞台のとあるテレビドラマにはまり、自分たちでもフルコースを作ってみたい!ということになった。言い出しっぺは、いつもクールな息子である。
ちょうど祖母の誕生日が近いので祖父も一緒に招待してご馳走しようということになった。

あくまでシェフは息子。夫はスーシェフ。
娘と私は、ウェイトレス。

メニューも息子が中心となって考えた。食材の意外な組み合わせを提案しては、夫を唸らせる。全7皿、イラスト付きの手書きのメニューも作成した。

娘はというと、自分は作らないのでいまいちピンと来ていないようだったが、ウェイトレスになりきって祖父母をおもてなしすることと、家の中をお店のように飾ろう、という話をすると表情を明るくした。

いよいよ当日。祖父母の到着まであと30分。
息子と夫は、狭いキッチンにお皿を並べ食材も順序良く使えるよう整えている。
娘と私は、テーブルコーディネートをする。すると、何か思いついたように娘は外へ出て行った。戻ってきた手には野花があった。真っ赤な南天の実もどこかで拝借してきたようだ。玄関にあったキャンドルと松かさも使って素敵にアレンジし、準備完了!

「いらっしゃいませ!」娘は少し照れながら祖父母を迎えた。
「フルコース2名様!」息子の掛け声に「ウィ、シェフ!」と夫。
調理場となったアパートのキッチンは忙しい。

息子は終始堂々としていた。盛り付けをする眼差しが真剣でかっこ良かった。
娘は、慣れない言葉を上手に使い「こちら、お下げしてもよろしいでしょうか?」と緊張している様子が可愛らしい。

約2時間、自分たちの空腹も忘れるほど集中してレストランという空間を作った。
ひとしきり感動してくれた祖父母は、笑顔で帰っていった。

やりきった私たち家族4人はまだ臨場感の残る空いたテーブルに集まり、こう言った。
「お腹空いたねぇ!!」
わずかに残った材料と、冷凍庫のご飯を解凍してお茶漬けにした。まかないだ。

フルコースの味は堪能できなかったけれど、特別感満点のお茶漬けはいつになく美味しかった。
そして私は、子供たちの小さな成長を見届けた充実感に包まれていた。

身内だったけれど、お客様に向き合う緊張は社会へ踏み出すはじめの一歩だということ。
食べることは嬉しいけれど、美味しいと言って食べてもらえることは、もっと嬉しいこと。

子ども達も大きくなり手狭になったこの1LDKのアパートは、もうすぐ引っ越す。
最高の思い出をありがとう。
楽しかったね!またやろうね。

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