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五年前の春は寒かった~Facebookページ亀井堂水の信仰、の思い出より


飛鳥の亀形水盤と
四天王寺亀井水をコラージュ

❰五年前のFacebookより❱

なんにでも、平成最後の、のマクラがつく、寒い春。令和、ひびきは寒い。さすがに五月には暖かくなろう。ん、五月病が待っている。

で、二十世紀最後の年、2000年はなにがあったか。近所のクリニックは、21世紀になりました、と書いたチラシを配る大チョンボ。

2000年正月、飛鳥の亀形水盤の発見。歴史学界盛り上がるかと思いきや、11月旧石器捏造が露見。一気にしぼみました。

二一世紀は、そのまま、捏造の時代となったのか、否か。

飛鳥の亀形水盤も、比較検討する史料なき孤立遺産で、めぼしい議論もされなくなります。

ごく数人の学者は、四天王寺亀井水に気付いていますが、明治以降の誤解に沈没したまま。

せっかく時代が変わるのならば、誤解や捏造を終わりにしたいです。れいわ、は、冷静沈着といきましょう。

旧石器捏造は歴史教科書まで書きかえさせる
歴史学界から文部科学省までだました
深刻な詐欺事件でした

旧石器捏造事件と歴史学界

それにしても、旧石器捏造事件は、なんとも幼稚なからくりでした。古い地層に石器を埋めておいて、自分で発掘し、日本の旧石器時代の始まりをどんどん古く書きかえさせた。

素人なりに、2000年の飛鳥の亀の発見と、旧石器捏造事件は印象深いものでした。2001年に四天王寺とご縁をいただき、亀井堂の担当になったとき、亀形水盤があるのを見てとりあえずびっくりしました。それ以上にビックリ!したのは、世の中がまったくこの古代遺産に無関心であったことです。

この無関心は、2024年現在も変わっていません。

2000年に開催された、古代史と亀、というシンポジウムの記録が出版されていました。主催者の千田先生は、亀井堂まで視察にこられて報告されている。しかし、下の水盤が亀だとまったく気がついておられない。上の明治時代の亀の噴水だけを見て、やはり水が亀の口から出ているほうがおちつく。飛鳥の亀は逆に亀の頭が水を受けている。このような例は見たことがない、、、?という議論をされている。

先生!飛鳥の亀も、亀井水の亀も、同じ構造、同じ寸法ですよ。

学者が見てわからないなら、自分で観察し、可能な限り資料をさがすしかない。

明治時代に改造された経緯を調査するため、中之島図書館で当時の新聞のフィルムをすべて精査する。明治時代から四天王寺はジャーナリストから軽視されている。京都や奈良が歴史的本流であり、大阪の寺院なんかバッタもん扱い。四天王寺さんのまねけな話は、とことん笑いのめす。

現在のジャーナリストのなかにも、四天王寺蔑視は根強い。旅行ガイドの大阪本でも四天王寺の扱いは小さい。亀井水なんか論外です。

江戸時代まで、聖徳太子信仰のメッカは四天王寺でした。明治政府の文教政策で、法隆寺が神聖化され、アカデミズムも法隆寺は根掘り葉掘り語るが、四天王寺はまがいものあつかい。

権威ある100年の誤解をただすには、20年ぐらいの頑張りではどうしょうもあれしまへん。

noteやFacebookで、私のレポートやヘボな詩を読んでくださる方も、徐々に増えてきました。もし本にしても、10冊も売れないでしょう。その意味では、SNSの力はすごいと思います。なんの権威もない私のような馬鹿が、シャカリキに調査したことを、読んでくださる方がいる。

あらためて、感謝もうしあげます。

Facebookページ亀井堂水の信仰、は、Google検索「水の信仰」で、サクサクでてくるようになりました。

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