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にっぽん昔ばなし

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むかしむかし、こんなことがあったでのぅ~
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なにをチャラチャラと

1976年全米選手権でのスナップです。さて、トレードマークのこの帽子は、誰でしょうか? O.K.・スマザーズ(USA)です。1997年に亡くなられたようですが、1957年第18回プラハ世界選手権のチャンピオンです。この大会から世界選手権は「ダブルFITA」ラウンドになり、男子は90-70-50-30m 144射4日間で行われるようになりました。その最初の世界チャンピオンが彼です。 世界チャンピオンは憧れであると同時に、永遠に敬意を表されます。全米でも、毎年現役選手として参加

世界チャンピオン

この写真を見て、誰だかわかるアーチャーは大したものです。 1967年アマースフォルト世界選手権チャンピオン、レイ・ロジャース(USA)です。僕がアーチェリーを始めて、最初に知った世界チャンピオンです。とはいえ、アーチェリーを始めた1969年はバレーフォージ世界選手権で、チャンピオンはハーディ・ワード(USA)の時代でした。 ハーディ・ワードはアマースフォルトでは3位に甘んじているのですが、バレーフォージでレイは7位です。そしてジョン・ウイリアムス(USA)が、2位で197

第二十四回 世界弓術選手権大会

第4話 前回第3話をアップしたところ、宮田純治氏のご長男、宮田哲明さんからメイルをいただきました。 お父様は1938年生まれとご高齢ですが、元気にされているようです。コロナを機に弓道連盟の仕事などからは徐々に引退し、埼玉の自宅併設の弓道場で指導は続けられ、穏やかにお暮しのようです。 日本のアーチェリーは1956年当時、ヤマハの川上源一さんがアメリカでハワード・ヒルからもらったグラスファイバー製の弓を日本に持ち帰ったところから始まります。源一さんはその弓を社員に渡し、「この

宮田さんの名誉のために

第3話 1969年、「全日本アーチェリー連盟」独立前夜。1967年アマースフォート世界選手権に、日本代表として7名の選手が派遣されました。 1958年全日本弓道連盟は、FITA(国際アーチェリー連盟-現在のWA)への加盟申請を行い、認められることで名実ともに世界における、日本のアーチェリーを統括する唯一の団体となっていました。洋弓は和弓の傘下にあったのです。そのため、彼ら7名は「全日本弓道連盟」に登録されていました。 その背景には、1964年に行われる東京オリンピックで、

1969年(昭和44年)

第2話 1969年8月、琵琶湖北小松での同志社高校洋弓部の夏合宿です。高校からは中学にはない、新しく始められる運動部に入ろうと、フェンシングかアーチェリーと考えていたのですが、クラブ勧誘で先にアーチェリー部に行ってしまったのが、運の尽き。4月から始めたアーチェリーですが、これが持っている一番古い写真です。 親に「3年間はバイクに乗りません。3年間これでがんばります」からといって買ってもらった、Black Widow TF 66"-37#。高校2年の春には、Hoyt 4pmに

人生を変えた一枚の写真

第1話 この写真を知っている方は、もうよほどの年配でしょうか。昔々、1970年頃に高柳憲昭さんの本に載っていました。写っているのは、お会いしたことはないのですが、学習院大学の西 由利子さんです。Black Widow TF のリムのど真ん中にストリングがきている、完璧なセンターショットの位置から写した一枚です。場所はアメリカ、ペンシルバニア州バレー・フォージ。アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンが独立戦争の時に1777年から翌1778年に野営した場所です。ちょうど日本で