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なにをチャラチャラと
1976年全米選手権でのスナップです。さて、トレードマークのこの帽子は、誰でしょうか?
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O.K.・スマザーズ(USA)です。1997年に亡くなられたようですが、1957年第18回プラハ世界選手権のチャンピオンです。この大会から世界選手権は「ダブルFITA」ラウンドになり、男子は90-70-50-30m 144射4日間で行われるようになりました。その最初の世界チャンピオンが彼です。
世界チャンピオンは憧れであると同時に、永遠に敬意を表されます。全米でも、毎年現役選手として参加する彼だけには、バイクで矢取りに行くことが許され、多くのアーチャーが気さくに声を掛けるのです。
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では、前回に続いて、これは誰でしょう?
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1967年世界チャンピオン、レイ・ロジャースがオクラホマの空港に凱旋した時の写真ですが、その後ろは同郷でこの時23位で終わった、1961年オスロ世界選手権のチャンピオン、ジョー・ソーントン(USA)です。
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そして、1967年アメルスフォールトでレイ・ロジャースに敗れ銅メダルに終わったハーディー・ワードは、1969年バレーフォージ世界選手権ではジョン・ウイリアムスを3点差で退け、世界チャンピオンになります。
その2年後、1971年ヨーク世界選手権でぶっちぎりで世界チャンピオンになったのは、ジョン・ウイリアムスでした。
なにをチャラチャラとバッジ付けて。と思うかもしれませんが、2年に1回行われる「世界選手権」では、個人と団体どちらも3位までの金・銀・銅のメダルだけでなく、距離賞ともいえる男子なら90m70m50m30mの各2回(72射)の合計点数に対して、金・銀・銅各3位までにメダルが授与されるのです。
ハーディー・ワードの左胸に付けられた大きい方のメダルが「個人の金メダル」で、小さい方がアメリカチームの「団体の金メダル」。そして右胸の4つのメダルが「90m金」「70m銀」「50m銀」「30m銀」のメダルです。
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このメダルは最初はリボンに留められていて、表彰式ではFITAの会長から首に掛けられます。そしてこの夜に行われるレセプションではリボンを外して、ジャケットの胸に付けるのです。どんなに着飾るよりもこのメダル、6個そしてゴールドを付けることこそが最高のステイタスであり、世界を目指すアーチャーの憧れなのです。
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メダルのデザインは変わることなく、上の開催年だけが変わります。
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