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『進撃のヒストリア』と『物語の奴隷ミカサ』【進化心理学で読み解く幸福論】Part.3 


※ネタバレなので進撃の巨人既読者向けですが、見ていない方は最後まで言っちゃいますので、気にする人は読むか何かしてください。


サシャ

四期で19歳になり再登場した彼女はとてもかっこよかった。熟練の職人のようにきっちり仕事をする、仕事人女スナイパーになっていた。

彼女もまたエレンや初期ミカサと同じくMBTI(性格診断みたいなもの)のS(感覚)タイプである。あまり考え込みすぎないし、直感を信じ、五感(味覚)が大事で身体能力が高い。

こういう実働型が前線にいないと国家を守る兵士はなかなか務まらない。


ただそんなサシャも新しい姿を見せてくれたと思ったらすぐ死んだ…。

5年後再登場して亡くなるまでの心理描写に乏しいため、何を考えていたのかちょっとわからない部分はあるが、(サシャが冷静に敵を殺すのは解釈違いの人もいるかもしれない)その短い間でも強い印象を与えた。

彼女が最後まで人気だったのは、自分(キャラ)を貫いたと読者に納得させたからだ。

四期の馬面ジャンも戦場で躊躇っているものの、元々ジャンはそういう立ち位置だった。死に急ぎ野郎と勢いで一緒についていってしまいそうな読者の意識をふっと引き止めて、そういえば普通の人の感覚(自分)はそうだったよなと思い出させる役割だ。


ライナーも割とずっと気持ち悪い可哀想なままだったし、アニも父に会いたい、アルミンが気になるのまま結構一貫している。だがやはりうまく行ったのは結果論であり、まあエレンの計画通りである以上どうしようもないのだが、なんとなく一貫性を持たないまま何人かは物語の奴隷として世界(2割とエルディア)を救うのが成功しちゃったな……という感じだったのである。


エレンの幸せ


こうは言っているものの素晴らしい物語だったと思っているし、重要なシーンは枚挙にいとまがない。


二期、アルミンはベルトルトの隙をつくために人間性を捨てた。そして、ベルトルトを仕留めるために命をも捨てる決断をした。あの時のアルミンの命の輝き具合は半端なかった。テールライトヘッドライト、地上に燦然と輝く星のようであった。


このまま作者の人間性も捨ててもし全人類淘汰したとして、どうなっていただろう。


全部踏み潰し島民の記憶を操作し(これチートだろ)島の中で小さく生きていく。多くの犠牲を払って、話は一話の、ベルトルト達が壁を壊す前にほぼ戻るのだ。


想像上の新世界が消えて、世界の外には(破壊されているけど)自然しか残らないし、冒険が多分楽しい。ユミルちゃんへの巨人発注件数も、多分大きく減る。

マズローの五代欲求を全て満たしている。家族、友人、コミュニティの仲間と、あるべき幸せ要素が(生きている人はまあ)残っている。


エレンは、そのために頑張ってきた。そしてそれは至極自然な流れだ。だから最後になって8割人類を破滅させたところで、そうか人類8割かと言う感想に、多くの人がなったのである(程度の差はあれど。8割も!?とか、8割なんだ。とか)

最終的になあなあなところで落ち着いたなと(フィクションだから言えることですよ)。


エレンは人の最大の幸福、「自分が幸せになる」をそもそも捨てている。だから、最後しでかしたことの規模にしてはやけに視聴者や読者にも同情されることになった。

だって本人が全然幸せになっていないから。


でも、彼にとっては仲間も大事で、仲間や愛する人が死ぬくらいなら自分が死んだ方がまだマシと言う幸せ基準もあるので、幸せの引き算(不幸せ)理論でこの結果である。

どうしても詰んでる?


その結果最後だけでもちょっと平和に幸せに生きたいよ、の形がミカサの妄想だった。

あれこそ究極的にミカサ(&エレン)の欲望と幸せ世界を凝縮させたものだ。


すなわちミカサの幸せとは、


愛する人(多くの場合交配相手であり家族)


以上。

だからミカサとエレン(ここではおそらくミカサの欲望メイン?)の本来の世界は恐ろしく小さい。狭量と言って差し支えない。

だから、最終話以降ミカサも別に幸せではない。エレンが幸せでないならミカサも幸せではないし、自身の手で殺したならなおさらだ。


じゃあなんでエレン殺したの?


色々答えは出てくるだろうが、私はここでメタ的な視点を入れてこう言いたい。


エレンは物語の奴隷で、自由の奴隷だった。

しかし最後に、エレンが最初におじいちゃんの巨人に食われた時に読者の間で囁かれた噂のように、だが今度は決定的に主人公の交代が起こったのだ。

ミカサはユミルによって選ばれた。エレンは物語を越えてユミルとほぼ同じ立場に立った。

ミカサは物語の意思(ユミルであり作者)に縛られ自分の欲望を優先できず不自由になった。


彼女こそがユミルの物語の奴隷になったのだ、と。


ミカサという「キャラになった」人



ミカサはずっとエレンだけを見てきたし、今でもエレンと一緒に幸せに暮らしたいだけなので、それを差し置いて行動すると、それはもうキャラブレして当然である。キャラとしてもだし、個人としてのアイデンティティとしてもだ。


それで最後ミカサは愛する人を手にかけてまで愛する人の暴虐を止めるのだが…止めるのだが、そうするにはミカサをもっと人類慈愛女にした方が良かったのではないかと個人的に、思った。(今回のNoteで初の個人的意見)


例えばヒストリアがエレンを手にかけた方がまだ理解できる。と言いつつ、本人が真逆の発言をしていたのでそれはないことは分かっている。

アニメ三期の終わりで俺を食って世界を救ってくれと情けなく泣き喚くエレンに対して、世界なんてクソくらえ、あたしゃー世界一悪い子だバカ!(そんな言い方はしてなかったが要約)したヒストリアの方がまだ対世界に対して感情の振れがあるという意味だ。

ミカサといえば世界は残酷なんだ、でも美しい。なのであるが、美しい世界の部分が足りなかった。

だってミカサが世界は美しいと思った理由はエレンである。ミカサにとって世界とは、幸福とはエレンの存在だ。

エレンを犠牲にして得られる対価が、ミカサにはない。何もない。

不幸な話だ。


しかしまあ、逃れられない運命として、ユミルの目的を果たすため、エレンを殺す運命だったのなら、ミカサに逃げ場はない。ユミルに選ばれた時点でミカサは詰んでいた。好きな人は大量虐殺犯になり、自分は最終兵器彼女ストッパーになった。


そもそもが、内面の詳しい描写がそう多くないキャラである。

本人もあまり深く考えていないし、何より他のキャラと違いヒロインという立場である。ヒロインはヒーローと対局にあるキャラである。

ミカサはそれは理想を詰め込んだキャラで、幼馴染で脳筋で口数と語彙が少なくて、ちょっとヤンデレで…という色々込みのキメラ体である。女性なので、つまり作者も(悪口になっていたら申し訳ない、そんなつもりは毛頭ない)具体的にどうしてどう動くかの心理が分かっていない。と思う。その理由が以下だ。


そもそも進撃は性別縛りの話ではまるでない


ほとんどのキャラが性別をまるっきる反対にしても成り立つ。誰?その場合ユミヒスが覇権になるとか言ったのは(ネットの感想)


だからこそキャラには人間的魅力があり、リアル造形にも関わらずその内面性や意味によって他にはない人気があった。性別がよくわからない人や中性に近い人ほどよりその魅力が引き立っていたように思う(ハンジや同期の方のユミルなど)。


だから女性でなければならない立場のキャラ、例えばヒストリアやミカサはどうしても記号的エレメントを付与されがちだ。

当初ヒストリアが読者サービスキャラとしてただの可愛い天使みたいに優しい女の子だったように。(最初のヒストリアに対して私はエレンと同じくつまらないキャラだなという印象を抱いていた。あれ作者の言葉じゃない?)ただしヒストリアはそこから脱皮して最後はエレンの数少ない共犯者にまでなるという圧倒的なキャラ成長を遂げた。


進撃の登場人物には血と肉の厚みがある。でもミカサは物語の都合上、どうしても設定モリモリで、かつ本人に選択肢が与えられていないミカサはどう足掻いてもヒロインというポジションに収まるしかなく、ヒーローとヒロインの話では、ヒーローを止める鍵は彼女でしかない。それに対して苦悩するみたいな息苦しさを読者は彼女から嗅ぎ取って、なんとなく最後はスッキリしないキャラになってしまった気がする。


ヒストリア


ヒストリアは言っていた。エレンを止めないと、止められなかった自分を許してかつ生きていくことができない、と。これはヒストリアなりの交渉である。彼女は事実、「そう」なるだろうし、想像力を生かしてみれば、自分の命を盾にして、エレン止まらなければ私死ぬからと言っているようなものである。

これでもかなり強いのにエレンはさらにその上を行く。記憶を消す(そういうことじゃないよエレンと言われるのは自分でもわかっていると思うが、これは想像力が豊かで優しすぎる人たちにとってかなり根本的な解決方法である)、憎しみの歴史を文明ごと奪い去る(我々の生きている今この現実も憎しみの連鎖でできていることを考え、リセットボタンがあるなら押す人は多いだろう。ほぼ全ての攻撃者がどこかでそれを正当化する歴史を持っており、それを信じている人がいるこの現実)、そしてエレンは最終的にヒストリアに言うのである。


今ある俺を生かしたのはお前だ。俺の選択でありお前の選択の結果だ。お前はその責任を取れよ。


これが「俺を救ってくれた」の部分に当たる。

※「俺を救ってくれた世界一悪い子なんだから」


これに対してさらに自分が妊娠することを提案できるところがヒストリアがエレンの共犯者になれる所以。倫理観はともかく覚悟が決まっておられる。


そんなヒストリア女王だが、子どもも無事成長し、色々と同期の残した後始末を結果的に押し付けられ、おそらく驚くほど人生は充実しているのは間違いない。


政治的な人間の幸福度を量るのは難しい。公的に本人の幸せが優先とは行かなくなるからだ。それでも、エレンの共犯者であり、反逆者でもある彼女がどんどん逞しくなっていくことは想像に難くない。

何よりも、望んでいた形ではなかったにしろ渇望していた家族と居場所がある。全て自分の力で成し遂げることなんてこの世の中にほとんどない。流されたと思うこともあるかもしれない。それでも彼女は彼女なりに居場所を手に入れて、これから先きっと彼女自身の実力の比重が結果の中で増してくるはずだ。

そんな希望を感じさせるほど、彼女の成長は明らかだった。


オールを手渡され、不恰好に自らが漕いでいるのか漕がされているのか、わからないまま流されて、いつかその「感覚」を掴むこともあるのではないか。

しかし、芯がなければ目的地がどこなのかも分からない。帰ってくる場所が分からない。芯があっても、誰かがそれを揺さぶれば、自分を疑えば揺らぐ程度であれば自信は消失し、決断には躊躇が浮かぶ。結果勝負に負け、望むものは手に入らない。もしくは勝負をすることすらできない。


例えば自分の「芯」を他者に委ねることにその脆さがある。他人が認めるだけの幸せにいつまで、どの程度まで縋るかと言う話である。

元々エレンがどうの以外の主体性は誰かに委ねがちだったミカサである。(てかエレンが主体)
エレンが良ければ私もいい、エレンのいる場所が私の居場所。
だからそのエレンがいなくなってしまって彼女のアイデンティティそのものが揺らいでしまった。


ミカサはエレンという救世主を愛していた。信じていた。その基盤が揺らぎ、最終的に解釈違いを起こして、救世主自身に刃として使われ彼を殺して最後まで彼を愛して死んだ。(文章にするとメリバ※メリーバッドエンド ですね)
短髪で筋肉パッツパツのイケメンな外見に反して戦闘以外では輝けないょゎょゎな刃になってしまったのである(言い過ぎ)

だから最終話でもなんかく大魔忍くノ一みたいな見た目になっており、永遠の愛を故人に誓っており、4期の断髪からも変遷もあってなんか全体的に君誰やねんになっている。


最後まで自分の意志といえどユミルとエレンが整備した道の中でしか自由選択が用意されてなかったよ...な女になってしまった。

ユミルにとっては鍵であり、エレンにとっては刃な女。エレンは惚れた女を道具として使うな。

エレンがいなくてミカサが引きずることは分かっていながら本人に殺させるのシンプルに残酷極まる。


個人的にはこれがヒストリアとミカサの成長が逆だと思う訳だ。


ユミル(同期の方)


ヒストリアは自分がなかった。誰かのために生きて死にたかった。それでようやく褒めて貰えると思った。
そんな彼女を見て、お前と私は一緒だ、だからお前は自分のために生きろ。誰かのために自分に嘘をつくな。自分に誇れるように胸張っていけるような生き方しろよとめちゃくちゃ響く発破をかけた挙げ句自分は誰かのために(ライナーベルトルト、そして間接的に壁内の仲間達)死んだブス。
これはやっぱりヒストリアとユミル自身が言った通りユミルが馬鹿だからだ。自分のために生きたいと思っていた、ヒストリアと一緒にいたいと願っていた、それでも誰にも見つけてもらえない子どもたちを見て、手を差し伸べずにはいられない、彼女こそが真の女神なのである。
この世には、自分ではなく誰かの願いを叶えることのよって満足してしまう存在がいる。泉の女神のように。

かといってユミルは一般的に優しい人ではない。どちらかというと打算的で、狡猾ですらある
ユミルが誰かを助けるとき、それは自分のためでもある。またマルセルを食って人間に戻つかの間の自由を謳歌したという負い目がある。(彼女の中には確実に受けた恩義という概念がある)
彼女はヒストリアの中にかつて不自由だったユミルさまの姿を見た。そしてベルトルトの叫びに50年無垢巨人として醒めない悪夢を彷徨ってた自分を重ねた。
彼女は誰かが自分を叱ってくれていたら。正しく導いてくれていたら。助言をくれていたら、見つけてくれていたら。自分にもそんな誰かがいれば...という自分ではどうにもできない後悔があった。


彼女が助けたかったのは、過去の彼女自身でもある

だからもし総合的に見てベストな選択をしなかったとしてもそれで良かった。彼女は誰かを救うことで自分を救ったのだから。

この真の女神の影響も大きくヒストリアは兵長にグーパンをかますなど、涙ぐましい成長を遂げた。

真の女神は死んでしまったのだがその意思は正しく引き継がれた、と言う訳だ。


この世には、自分の存在を後世に伝える方法が二つ存在する。

一つは、子どもを作り遺伝子情報を残すこと。もう一つはミームを通して自分の存在を残すことだ。

ミームは、文化や言語、レガシーであり、会社やブランドと言った形でも残すことができる。ミームはそれ自体が意思を持つかのように、我々の遺伝子と同じ働きを持つ。すなわち、増えることである。

ミーム(meme)とは、内に保存され、他の脳へ複製可能な情報であり[2]、例えば習慣や技能、物語といった社会的、文化的な情報である[3]。『日本大百科全書』における人工知能研究者の中島秀之の説明によると、ミームは文化的自己複製子であり、ミームは比喩(ひゆ)ではなく遺伝子と同じく実体である[4]。『利己的な遺伝子』によれば、ミームは脳神経回路の型である[5]。ミームが脳の外へ複製された具体例としては衣服、壺、アーチ、宗教的行動、科学者の講演、論文などが挙げられている[6]

WIkipedia(ミーム)

宗教もまた、それ自体が増えることに重きを置く。数は力であり、より多く増えた方が、今後生き残る可能性は高くなるのだ。地球に何かしらの危機が迫り、我々がいつか宇宙へ移住したとして、地球外生命体としての一歩に宗教というミームがついてくる可能性は非常に高い。

だからインフルエンサーという新しいコンセプトが繁栄する。人は常に誰かと繋がり、影響することを望む。自分という存在を出来るだけ多くの人の中に刻むためだ。

誰にも影響を与えず、自分だけが知る自分のまま死ぬのは孤独だ。例えば少しでもあなたという人の存在が誰かの中に残り、死後語り継がれたり、あなたの意思を継いで何かを成し遂げる人が現れたら、なんとなく救われた気持ちにならないか?

そいつがミームだ。私たちの中には、この遺伝子かミームによって私達の存在が消えないように、できれば増えるようにしたいという願望が存在する。

また長くなってしまったので、次回このミームについてと、それを踏まえた進撃キャラの人生幸福度を測り私たちにとっての幸せとは何かを考察する。

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