【エッセイ】電柱の頂上に安全に登りたい
※このエッセイは、以前作成した自由律俳句をもとに、作成されました。
電柱の頂上に安全に登りたいのか
そもそも、登りたいから、この自由律俳句を書いたはず。
それにしては、安全に、と書いてあるのが、気になる。
安全に登る、ということは、ある意味、挑戦的ではない、とも読み取れる。
その場合、自分を自分で弱弱しい、と言っている感じで、なんかイヤだ。
電柱の頂上に安全に登った場合、どうなるのか。
いや、そこは、安全にとか言わずに、素直に頂上に登れよ!と言いたいところなのだが、登ったとて、電柱の頂上に登っただけだ。
そこから見える景色は、ビルの屋上からの景色よりはさみしく、必死に風に飛ばされまいとしがみついているため、地上から写真を撮る大衆にとっては、SNSでバズらせるためのかっこうのえじきになってしまう。
しかも、不安定だし、健康上の懸念がある。
電柱の頂上に安全に登る人は、どういう人なのか。
その男は、アホである。
自分は、アホですよ~。ほらほら見ておくれ~。と泣き叫んでいるアホである。
せめて、のら猫たちに救出されることを、創作後に作品を見つめながら願っている。
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おわり。