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studyのおもしろさと learnのおもしろさ

学ぶ という言葉、英語では、「勉強する」のstudy と、「習う」のlearn がありますよね。

日本語で同じ「学ぶ」でも、英語では、単語として違うものが存在しているということ。つまり、明確に意味(行動)の違いがある、ということでもありますよね、英語では。。

日本語でも「学ぶ」の意味はいろいろあり、「勉強する」「習得する」「経験で知る」「まねをする」など、他の言葉に置き換えて表現するとより具体的になります。

そこで思いました。
学生達が日頃よく使う「勉強」「勉強する」という言葉を、もっと具体的な意味に振り分けて考えたらどうなるだろう・・・?

この、英語で表現するところの、study と learn の違いを、あらためて意識することによって、学習する際、自分がなにをしようとしているのか、が明確になるのでは? と。


●study的勉強とlearn的勉強

私のイメージでは、studyは、新しい知識を得る、活用法を知る、仕組みを理解する、など、知らなかったものを知るようになる取り組み、のように感じています。
一方、learnは、すでに知っていることを自分のものにする、理解を深める、習得する、利用できるようにする取り組み、のようなイメージです。

例えば、授業前の予習や授業はstudy的な取り組み、家庭学習や復習は
learn的な取り組み。

例えば、英語や算数、数学で、新しく習う事柄はstudyで、それらを使いこなせるように何度も練習する(英文法、計算、漢字など)はlearn。

例えば、理科や社会での知識のゲットはstudyで、実験や観察、話し合いやまとめ発表や論文の執筆はlearn。


使いこなすための前準備・前知識がstudy
使いこなすための練習・訓練がlearn

といったところです。


これ、自分が自覚して、今私は study をしているのか、learnをしているのか、

ゾーン分けをするだけで、膨大な「勉強しなきゃ」世界から、少しでも自分が把握できそうな世界に変わって見えるのでは、と思うのですが、どうでしょうか。


●study と learn を楽しむには

私は勉強する楽しさを追求したい、提供したい、と思っているのですが、

studyの楽しさ面白さと、learnの楽しさ面白さと、
勉強を2面的に楽しむことができたら最強ですよね。

どっちの勉強が好きか得意か、その割合も人それぞれだとは思いますが、

studyには興味関心を持つ心、learnには継続する意欲・目標、
で、楽しむ・面白がるコツをつかめそうな気がします。

関心をむけるというのは自分の意志ですること、できることだし、
継続するというのは、自分の決心のなせる技でもあります。
(つまり、一応全部自分次第で可能なこと)


この教科、つまんない、関心ないんだよね〜

そういう時、関心ないけど関心もってみる、という、逆発想で自分の心をその教科学習内容に向けてみる。新しい知識というのは、それはそれで面白いものです。知らなかった世界を知るようになる、というのは人間の欲の一つでもあるから、めんどくさい想いさえ乗り越えられれば、取り組む事自体は難しいことではないんですよね。

そうして新しく知った知識、それを知った時、私がどう思ったか何を思い描いたか、何を連想したか・・・それは「私」にしかわからない私の自由な学びの時間で、何を連想したって自由な話。私の感じ方を楽しんでいけばいいのだと思うのです。


これ、覚えるの面倒〜
あ〜、もうやり方忘れちゃったよ〜

そういう時、また1からやり直そう、そうしたら『思い出せるから』。 
一度学んだことを思い出すのは、学んでないことを学ぶのより何倍も簡単です。つまり、learnの入り口に立つのは簡単なんです。
そこから、ステップアップしていくのが、learn の究極に楽しいところ。

スポーツ、習い事、などをイメージするとわかりやすいですよね。
最初はできないことを、コツコツ基本からやっていって、やがて習得したら次の段階へステップアップ。そうやって難易度の技を身に付けていく。
物事を習得する、習熟する、ことほど楽しいことはないでしょう。

使いこなせる、自分との一体感は、間違いなく幸福でしょう。
(語学力しかり、語彙力しかり、計算力しかり、問題把握力分析力しかり、問題解決能力しかり・・・・)


よく、テスト勉強で、近くなってやり始めて、わかってきて面白くなってきたところでテストが終わって、
「もっと早くからやってれば良かった。せっかく面白く感じるようになってきたところだったのにな・・続けてたらもっといい点取れてたかもしれない」

こんな経験、誰しも1度や2度はあるのでは。

これが勉強する、ということの本質かと思うのです。
勉強は自分のためにする、ってよく大人が言いますが、
勉強は自分が楽しむためにする、って言ってもいいんじゃないかな。(笑)

せめて気持ちだけでもそんな風に向き合えれば、
自分のための「学ぶ」になりますよね。


●studyとlearnのバランス

そんな風に勉強を2面性から見ると、

小学生も、中学生も、 study と learn のバランスをとった分量のカリキュラムが考えられているのだろうな、と思います。

教育という観点で、長年、検討と研究を重ねて作り上げられた集大成のカリキュラムですしね。

ですが、ここでよくよく考えてみれば。

授業では「知る」ことに時間が割かれることが多いですよね。
ということは、「知った内容を深く考える」や「繰り返して習得する」というlearnは、必然的に自主学習で時間を確保せざる得ない。やらないとバランスを崩してしまうことになりますよね。

うーーーむ。やっぱり学校だけで勉強は完結しないのか・・・

自主学習必須となると、ちょっとつらいものがありますよね。。
継続とか意欲とかにもエネルギーいるわけですし。

学校内でlearnの時間がたっぷり確保できればいいのかも、ってことか。。
習い事のように。

それが時間的に難しいから実現していないわけで・・・となると、study が多すぎて、learnの時間不足ってこと??
となると、そもそも学習内容が多すぎるってこと???

習得させること、自分のものにさせること、が教育の最終目標だとすると、本来まるっとlearn含みでの勉強の面倒をみることが必要になってきます。

でも、learn には個人差が出やすい(才能や得意不得意分野がそれぞれあるため)から、学ぶ時間が同一だから効果が同じかというとそういうものでもない。learn を集団授業に取り入れるのは study より難しいのでしょう。

で、結果、各家庭に宿題という形でなげるしかない・・・・

そういう事情なら、宿題をしてこなかったことを叱る、のではなく、
宿題をしてこなかったら、学校の休み時間にやらせてあげる、または勉強をみてあげる・・・・などを当たり前とする指導ができれば、『宿題』=『learnの機会の確保』=教育目標の達成、になるのではないかな。


●脳内シナプスの無限な可能性の先に

study的勉強と、learn的勉強との相乗効果で、自分の中に取り込んだ『新しいこと』が成長し、脳内のシナプス(情報伝達組織。神経細胞間の接合部)で多方面の神経回路へ強固につながりだす。そうして、勉強すればするほど、生き生きと自分を輝かせる実りとなるのでしょうね。自分次第でそれは自分の中に無限大に広がり高く深くなっていく。自動システム。

study で見識を増やし、自分の世界を広げていく面白さ。

learn で自分に取り込んで自分の人生で使えるようになる面白さ。

将来、天職を見つけ、楽しみ喜びながら仕事ができるなら、幸せですよね。
幸せになるための学び。未来へ生きていく子どもたちには特に、希望をもって勉強もがんばってほしいです。


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