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小説:第n次自己内大戦

己の憎さを自覚したその瞬間から長い長い冷戦が続いた。

「さあ、今こそ変革の時が来た!思考を変えるのです!これらは貴方の思い込みに過ぎないのです!不安から解放されましょう!私たちは自由なのです!」
声高な改革派の刃がスピーカーから響く。不気味なほどに足並みを揃えた行列は正論のタスキを身につけて根拠のプラカードを掲げて逃げ道を封じてゆく。

私たちは怯えていた。天動説から地動説が常識になったように、ストリーミングが主流になりディスクの流通が減るように、命が老いるように、不変など無いと過ぎる時を経て知らされた。変わりゆくものを認めながらも己の将来的な変貌を信じきれやしない。

窓の外のパトカーの灯とサイレンは南へ向かって消えていった。この街は24時間声を上げ続ける。私はタオルケットを頭から被り直した。

たった一つの違和感を持ち帰っては延々と議論を繰り返す日々は過激派の者こそ人道的に見えてしまうほどに生物としての根幹から脆く崩そうと負荷がかかる。
賢き人類ホモ・サピエンスが非力ながら世界を征服するほどの力を持つ所以となったのはフィクションの共有さえ可能な思考力の強さだったという。生きる上で不可欠な酸素が人体にとっては毒であるように、強烈な記憶や思考が過ぎるとその気がなくとも肉体というデバイスは焼き切れたように不思議と勝手に生を諦めてしまう。

瞼の裏の本音は弾圧されながらもしぶとくそこで生き抜いていた。其れ等を堕落じみていると主張する理想たちは手榴弾を投げ込み戦火は激化する。重箱の隅をつつく魔女狩りで多くの欲は吊し上げられ見せしめに焼かれた。生焼けの骨身の数だけ暗黙のルールがまたひとつ折り重なる。


“壊しておしまい。後先も理性も忘れて手当たり次第に破壊して、残骸には目もくれず短絡的な旨みを求め続けなさい”

いつだったか忘れるほど昔に、この時々囁く声に魂を売ったのだ。全てが平和になりますようにと願って、後にそれは建前となった。魔とは上手く付き合うべきである。
理性との矛盾が続く限りこの戦争が終わることを知らない。


「裁判長、こちらの証拠をご覧ください」
罪と現実を生きた記憶が流れる。

「大好きだよ。こんなにも俺のことを深く理解して愛してくれる最高の人は初めてなんだ。ずっとずっと守り抜くから」

様々な世界を何度も何度も共に旅した。しかし気付けばどうにも何かが浅い気がしてしまって、目先の安寧を守ることに努めた。端的に言えば見せかけのアナーキーは幼稚で滑稽に観えたのだ。それは当人のコンプレックスの産物だと気付いたと同時にまるで写し鏡のように自分の弱さを眺めているような心地になった。
居場所を壊さぬよう丁寧な観察を心掛けて時間を奪った私も、夢から醒めない有限不実行な愛に縋り水を与え続け根腐れさせた男も決して重要な言葉を口にする勇気はなかった。

守りたい人はいても共に歩んでゆけるかどうかは別だ。守りたい人の為にどこまで犠牲を払えるか、共に歩む人の為にどれだけ譲歩できるか。これを一括りに愛と呼んでしまって良いのか。
繊細な言葉の綱渡りが紡ぐ糸はきっと質の良い“普通”を縁取ってゆくのだろうけれど。

「じゃあ、いつか迎えに来てね」

嘘に予感はあっても、発言したその瞬間に予見できない罪は誰が裁くべきなのだろうか。

証言台の前で片手を挙げて私は宣誓した。

「本心に従って私の真実を述べ、何も隠さず偽りを述べないことを誓います」

「私はずっと、私を壊してくれるモノを探し続けていたのです。狩る者の瞳の奥の狂気、魅せつけられる自由な躍動、壊してしまおうと一瞬でも持つ私への興味、盲信と敬愛。
尊厳を躊躇無く壊されることは私の定義さえ塗り替えられる。壊されたいと思える何かをずっと、ずっと求めていたのです。
そして従順でありながら無知の知を求めて世界の姿を見て、帰って少し叱られたい。そんな支配者が休息を求める瞬間にふと頭を過ぎる宿り木で在りたい。被支配者だから視えるその景色を慈しみたいと、深い海底からせめて光の届く所へと彷徨ってまいりました」

経験に平等も慈悲なども無い。個性が重んじられる風潮は各々の土壌が違いすぎて、想像もつかないほどの生きる糧と傷を植え付けられた結果である。

「ただ、魅了された存在に少しばかり必要とされたかったのです」

ずらりと並んだやや保守派の多い陪審員達はそれぞれ好き勝手に意見を述べるので個々を誰も聞いていやしない。混沌に満ちる空間をぼーっと眺めた。そもそも生きることそのものが罪深い世の中で私はこれからも裁かれ続ける義務がある。それは何を律する為だろう。

人の期待は裏切りたくないものだから私は着実な成果やら目に見える数字を頼りに生きる必要があった。
不器用で要領が悪いと散々染み付いた教育という暗示は功を成したというべきか、私に効率を求めるようになった。最悪の事態を想定しロスも含めて計算して準備と心持ちを施しておけば大抵のことはそう痛手にはならない。

こんな、経験則に基づいた盾も0になるまで排除しろというのか。正しき革命を優先すべきなのか。目の前の古い主観のフィルターは生ける穢れか、知恵か、その両方か。

全員同じ顔のこの空間で裁判長はぽつりと零した。
「いっそ全部忘れちゃったら、どんな人間に成れるだろう」

素直な白い日はジャスミンのミドルノートに包まれて、なんとなく今日はよく眠れそうな気がした。
一つでも、一枚でも私が刻まれてゆくことが嬉しかったのだ。人は歴史に敬意を払うが刹那の産物は心の奥底で当事者たちといつか心中する。
此処では法は煙と共に消えてゆき、対話で世界は深まり、触れることで痛みを消そうとする。誰しもに纏わりつく不確定な不安も剥き合ってしまえるほど側に寄りかかることを許されれば癒しの一つと分類して差し支えないのだろう。

今夜は何も考えないでおこう。罪について馳せることはいつだってできるのだ。
今在る肌触りを覚えておく為に。素直な感謝ができるように。停戦が解除されたら待っている真夜中の寂しさの中で少しでも思い出せるように。
一つだけ、大切なことを履き違えてしまわないように。
それでも私は器用に何もかもを棚上げして無邪気な幸せを噛み締めた。心地良くて、温かくて。

「鼓動がとても強いね」



気怠い昼前の鏡の前で私は語りかけた。
「穏やかさは緩やかに死んでゆくことかしら」

鏡の中の彼はきっとこう答えるのだ。
「刺激は平穏の中で初めて存在できるんだ。100は100で在り続けるといつしか1になってしまう。穏やかさに身を委ねられる余裕と諦めを持てるかどうかがきっと重要なんだ」

「安寧も刺激も求めることは強欲かしら」
「強欲は繁栄の証さ。そもそも地球が出来て以来誕生した生物の99%は絶滅したんだから。皆強欲に根を張り水を吸い懸命に今を生きているんだ。資本主義社会だって今この瞬間も欲が渦の目になっている」

「私は私の強欲さを許すことができない。どうしても。この世の誰より思考が読める自分の愚かさにうんざりしてしまうの。
軽率に遺伝子を残せるほど残酷にも成れず、終わらせない理由は他人に薄っすらと望まれるからで、私の見たいものを視るために生きるには少し荷が重い。そう気付くと私が為そうとすることは全てデメリットに飲まれてしまう気がしてしまって」
「それでも君は今生きている」
「そうよ。誰よりも存在してほしかった貴方は居なくて、私は生きている」

桜の蕾が膨らみ始めると私の心はいつも落ち着かなくなってしまう。
日本人が門出の象徴とするこの花が咲き誇って人々は浮かれる。早々に散ってアスファルトの上で茶色く躪られ流され日常が戻り、気付けば柳の青葉が目に眩しくなる頃には晴れ渡る青空を眺めながら、神などいないと絶望に膝を付いた日がまた近付いて来る。

「人が生きる理由なんて付加価値でしかないのよ。業を背負ってでも死ねない理由が持てるかどうかだけ。」
「信念ってやつ?」
「何だっていいわ。信念でも執念でも信仰心でも愛でも。
ねえ、私のことを呪い続けてちょうだい。私が死ねない理由を忘れてしまいそうになる度にたった一つの記憶で縛り付けてよ」

彼は少し笑った。
「いいよ。ツツジが咲く前にまた会いにおいで」

戦争終わるのはきっと随分と先のことだろう。
今はまだ、木蓮が咲き始めたばかりだ。

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