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言葉にこだわる

今日は寒い。予想以上の寒さだ。想定外の寒さ。スースーして薄寒い。

でも、ニュースで「4月並みの寒さ」と言われると、大したことない寒さか、と思ったりする。

外に出るとやっぱり寒いのだけど。

そんな寒さが身に沁みる今日、

私は言葉にこだわって生きよう、と決意してみる。



例えば、特定の人を指す示す言葉。

人種のことでいうと、「黒人」という名称。


私が生まれ育った中では、「黒人」が一般的に使われていた。

「黒人映画」だと思いながら『ジャンゴ』を観て、こんな奴隷制がまかり通る時代や社会があったのか、と少し人種差別に思いを馳せたりしたことがある。そこでも「黒人」という言葉を、私は当たり前のように使って議論していたと思う。


しかし最近、「アフリカンアメリカン(アフリカ系アメリカ人)」という言葉があることを知った。


「黒人」という言葉そのものが差別的であるとして出てきた言葉らしい。もともと英語圏では使われていたのかもしれない。

「外人」も似たような言葉であると思う。単純に外国から来た人を示したいなら、「外国人」でいいはずだ。


中立的に指し示すなら「アフリカンアメリカン」がベターだと知ると、そうでない表現にすごく違和感を感じるようになった。

無意識に誰かを傷つけてしまう、そんなことを私もしているかもしれない。そう思うと恐ろしい。


それから、性的嗜好を表す言葉。

男性、女性という二つの性があるとすれば、

愛的嗜好を示すには同性愛者か異性愛者かの二つ。

それか両性愛者(この表現は正式的なものかどうかわからない)か。


そう考えると

「ゲイ」や「レズビアン」は「同性愛者」と表現した方が適切なのではないかと、個人的に思っている。

これは、

私は異性愛者で同性愛者でない、という区別をつけたい気持ちがそうさせているのかもしれないけど

異性愛者が「ゲイ」や「レズビアン」と呼んで、性的嗜好の話をしてしまうと、

なんか俗っぽくて、好奇心に満ちてしまう感じがする。

分かりもしない心情や環境を下手に語ることはできないと思うから、「同性愛者」と表現することで線引きをしようとしているのかもしれない。



言い出せばキリがなくて、答えもない。

すべては使う人の感覚に委ねられている言葉。

私の知らないところにも曖昧で危険な言葉は転がっているだろうし、知らず知らず使っているだろう。

だから、私は言葉にこだわりたい。

今の気持ちや状況や課題や、あらゆることを歪みなくそのままに伝えられるようになるために。

言葉という武器を身につけて、タフに生き延びていきたいのだ。




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