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私と北条政子

『至誠』とプリントされたTシャツを着たジジイが万引きで捕まる現場に遭遇した。来世に期待である。

目下、仕事の鬼と化している為noteの日記を放置していた。時間が無いわけではなく、脳のワーキングメモリが16ギガバイトしかない私にとって、仕事を頑張りつつ文章も書くなど完全キャパオーバーなのである。

こうなってしまうと、まずネタを探すこと自体が面倒になる。ネタがあってもそれを飾る言葉が出てこない。脳が働かないのだ。

よって、万引き至誠ジジイという格好のネタを見つけたにも関わらず「来世に期待である」と8文字で締めてしまうのだ。

このまま日記からフェードアウトしそうな勢いだったのだが、ふとツイッターを開いたら面白そうなものが見つかった。

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とあった。ババアはお呼びでないらしい。という訳で、勝手にやってみることにした。

設定された論文テーマについて3000~10000字で書けという企画で、論文テーマは『私と北条政子』である。

私と北条政子。

政子について書こうにも、政子のことなど私は何も知らない。知らない人について何を書けようか。

という訳で調査開始。使うのはもちろんウィキペディアである。

北条 政子(ほうじょう まさこ、平政子(たいらの まさこ)、保元2年(1157年) - 嘉禄元年7月11日(1225年8月16日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の御台所。子は頼家、実朝、大姫、三幡。

周囲の反対を押し切り、伊豆の流人だった頼朝の妻となった。夫の死後に落飾して尼御台(あまみだい)と呼ばれた。法名を安養院(あんにょういん)といった。

頼朝亡きあと征夷大将軍となった嫡男・頼家、次男・実朝が相次いで暗殺された後は、鎌倉殿として京から招いた幼い三寅(後の藤原頼経)の後見となって幕政の実権を握り、世に尼将軍と称された。

出典:ウィキペディア

世に尼将軍と称された。

私も取締役になって以来『カマ将軍』と称されることがある。私と政子、共通点を一つ発見。

伊豆の在庁官人であった時政は、平治の乱で敗れ同地に流されていた源頼朝の監視役であったが、時政が大番役のため在京中の間に政子は頼朝と恋仲になってしまう。

『吾妻鏡』によると時政はこの婚姻には大反対であったという。同書にはこの時のことについて、後年、源義経の愛妾の静御前が頼朝の怒りを受けたときに、頼朝を宥めるべく政子が語った言葉で「暗夜をさ迷い、雨をしのいで貴方の所にまいりました」と述べたと記されている。しかし最終的に時政はこの二人の婚姻を認めた。政子は、まもなく長女・大姫を出産する。時政も2人の結婚を認め、北条氏は頼朝の重要な後援者となる。

出典:ウィキペディア

親の不在中にセックス、父激怒。あるある。ただ私の場合は姉(当時受験生)も激怒だったが。部屋でアンアン言ってたら、木刀を持った姉が阿修羅のごとくドアを蹴破って入ってきたのを覚えている。

どうやら私と政子は似た者同士のようだ。同じ時代に生まれていたらズッ友だっただろう。

政子の妊娠中に頼朝は亀の前という妾を寵愛するようになり、近くに呼び寄せて通うようになった。これを時政の後妻の牧の方から知らされた政子は嫉妬にかられて激怒する。11月、牧の方の兄の牧宗親に命じて亀の前が住んでいた伏見広綱の邸を打ち壊す

ウィキペディア

政子、怒りの打ち壊し。これはなかなかのメンヘラである。

頼朝は激怒して牧宗親を詰問し、自らの手で宗親の髻(もとどり)を切り落とす恥辱を与えた。

ウィキペディア

ちょっと待てや。

頼朝さあ、なんでお前が逆切れする訳?切り落とすべきは宗近のチョンマゲじゃなくてお前の股間のチョンマゲだろ。脇差でも差しとけハゲ。

こんな大勢を不幸にする出来事だったにもかかわらず、頼朝はその後も懲りずに亀の前ちゃんの所に通っていたらしい。バカじゃねーのこいつ。

今もあるのか知らんが、アメリカには『3ストライクアウト』という法律があるらしい。男の浮気にもこれを適用すべきだと思う。ワンストライクで右の玉、ツーストライクで左玉、スリーストライクはいわずもがな。

それにしても亀の前ちゃん、そんなにいい女だったんだろうか。

あまり情報がないので推測するしかないのだが、名前から察するに、まず手コキが得意であることは間違いない。政子の復讐に怯えながら、夜な夜な頼朝の亀の前を擦り上げていたのでこの名がついたらしい(出典:FANZA)

12世紀の日本に、男の潮吹きまでさせられる手コキ名人が数多くいたとは考えにくいので、頼朝公が虜になるのも「むべなるかな」という感じに思ったのだが、どうやらこの潮吹き大将軍、他にも沢山女を作っていたらしい。ただのエロガッパである。

手あたり次第女に手を出す潮吹きエロガッパと、その都度浮気相手の家を滅ぼす鬼嫁政子。

こんなスケベジジイとクソメンヘラが12世紀の日本を統治していたのだ。最悪である。そら『1192(いい国)作ろう鎌倉幕府』も教科書から消えるわ。

現代日本の統治者がこんなクソ夫婦でなくて本当に良かった。世間はもっと岸田に優しくするべきである。

さあ、ここまで悪口、罵詈雑言、下ネタ、岸田の擁護と色々書いたがこれでやっと2,273文字。課題は3,000字~10,000字。あと700字程度足りない。絶望である。

ウィキペディアを見ても、この後の政子は親父を島に流したり、天皇を島に流したりと『私と政子』というお題に使えない行動しかしていない。スターリンぐらいしか使えないネタだろう。

という訳で政子の生涯はここらで置いといて、次は容姿を見てみよう。私と政子、どちらが美しいか勝負である。

政子には大変申し訳ないのだが、これは私の圧勝だろう。

別に「政子はブス」ということではない。鎌倉時代には写真がないのである。よって政子のご尊顔は肖像画等でしか分からない。そして日本の肖像画の特徴といえば、描く女描く女それはまあブスに描かれることである。あれはなんなんだろうか。

という訳で、現実の政子がいかに美人であろうが、残っているのはブスな肖像画。一方私は加工技術の粋を集めた自撮り写真。負けるはずがない。

でもまあ、一応確認しておこうとグーグルで『北条政子』と画像検索。すると小池栄子(大河ドラマで政子役)が出てきた。

小池栄子。

完敗である。一介のオカマが勝てる相手ではない。顔も、おっぱいも。

政子(小池栄子)を見た後に、自分の平な胸を見てみた。いっそ島に流してくれという気持ちになる。

ちなみに北条氏は源氏平氏の分類でいうと平氏なので、北条政子は別名、平政子(たいらのまさこ)となる。

貴様の!その胸の!どこが平らなんだよ!!嫌味か!死ね!死んでるけど!

たわわな胸をぶら下げながら「平らの政子で~す☆」などと嫌味を言う女、絶対に仲良くなれない

ショックである。親友だと思っていた政子にまさかこんな侮辱を受けるとは。。ズッ友宣言撤回だ。

もういい。政子がそのつもりなら、こちらにも考えがある。次の勝負は夜の営み、いわゆる『セックス』だ。

この女、間違いなく下手だろう。頼朝の浮気癖がそれを物語っている。

入れて抜いて終わり。いわゆる『しょっぺぇ女』だ。巨乳の持ち腐れとはまさにこのこと。そのでっけぇオッペェは何のためにあるんだい?それともペェズリ(パイズリ)一辺倒の能無しかい?そら亀の前に出し抜かれるわなあ!!

はー、スッキリした。まるで亀の前ちゃんに抜いてもらった後の頼朝の気分だ。

ちょうど3,000字も超えたし、清々しい気分で筆を置こう。

『私と北条政子』~完~

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