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【後編】Life Quest~釜石で〇〇する人たちの多様な生き方〜第12歩目「コーディネーター」×向野修得

本記事は、岩手県釜石市で人生を探求し生き方を自分でつくることに挑戦し、様々な活動に取り組むゲストの生き方に迫っていくイベント型オンライン番組『Life Quest』の内容をnoteに転載しています。         
今回は、2020年10月19日に実施された第12歩目「コーディネーター」に取り組む向野修得さんをご紹介します。実際の放送については、こちらよりご覧ください。

わたしのLIFEQUEST

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戸塚)後編は、向野さん自身の人生について★印を中心にお話して頂きます。まず、はじめのロースクールで目標を見失うというあたりの変化についてお話を伺ってもよろしいでしょうか?

ロースクール時代

向野)はい、元々ロースクールに入ったのは、大学で法学部だったこともあり、勉強が好きで、ディスカッションして物事を進めていくということを社会に出る前に経験したいという思いからでした。当時は、ロースクールができたばかりで、教授に話を聞いたら軽くプッシュしてくれたというのもあります。皆さん目的意識が高かったのですが、私はそこまでなかったので、やっているうちにその差から、居心地の悪さを感じていました。その当時、接客のアルバイトがとても楽しく、そのバイト仲間と遊んだりと今思うと逃げていた時期なのかなと思います。

本当にロースクールの2年の頃には辞めた方がいいと思っていましたが、何をやりたいのかが決まっていなかったので、ひたすら居心地の悪さを感じて下がっていました。その時にふとテレビをつけてやっていたのが、社会課題、貧困問題の実態というのと、ただ支援してくださいということではなく、正面からぶつかって解決しようことにスポットを当てていた番組でした。画像2

向野)人身売買や児童労働について、複合的な背景に潜む本当の課題を見つけて、解決していくということ、それをボランティアではなくビジネスで継続して取り組んでいくという社会起業家がいるという内容にとても感銘を受けました。自分は、今弁護士などで人の命を救ったり目の前の人と向き合って人を助けることはできないかもと思いました。しかし、そのビジネスの仕組みづくりをすることで、同じように多くの人を救えることはとてもいいなと思いました。実際、「かものはしプロジェクト」さんというのは、児童労働や児童売買に関してカンボジアの貧困家庭を救う為、コミュニティ―ファクトリーで仕事を与える、教育を受けてもらうことで自立を目指しているNPOになります。

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当時、その取り組みに衝撃を受けた私は、実際に、ロースクールを卒業した年にかものはしさんのカンボジアのスタディーツアーに参加しました。実際にコミュニティファクトリーを見学したり、地域の人たちと交流したりして、課題の現場を見ておりました。 

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そこからNPOなどに興味をもち、次に出会ったのが「NPOブラストビート」さんです。ここは、音楽×社会貢献×若者という形で若者と活動することで彼らの成長を目の当たりにしました。

その次に起きたのが、東日本大震災になります。その時、わたしは直接的な被害を受けていないのですが、このまま何もしないでいいのだろうかと気持ちがざわざわしていました。やっぱりこれは現場に行って何かやることはないだろうかということで災害ボランティアとして南三陸町に行きました。それからそれがご縁で元の会社RCFに入社して、地域の復興を見続けてきました。

釜石へ赴任

向野)実は釜石に来たのは、そこから2012年の8月ごろになります。当時、仲間の拠点が釜石にあったので、何日間か滞在しました。それから、何度か通いで釜石に関わっていたのですが、一度はしっかり現場をみたいということで、釜石に赴任しました。その当時は、地域の復興と共に何かやろうという気持ちが強かったです。

戸塚)釜石に来てからの心持ちがどのように変化したのかということを聞かせて頂いてもよろしいでしょうか?

向野)釜石にきてから、基本的にはやってみようという気持ちが大きかったと思います。何が必要かと考える中で、地域の人材を育成していく、地域のプロジェクトを応援していくということで研修スキルアップを行ったり、災害公営住宅のコミュニティー支援されている方の伴奏支援もしました。実際に、研修だけでなく、災害公営住宅のお茶会に参加したり、現場に行くということもしました。

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向野)昨年に向けて、3年間は民泊推進ということで地域の色々な方を回って民泊をやりませんかという話をして地道に進めていきました。昨年、ラグビーワールドカップの後には、民泊を協力してくれた方々とお疲れ様会をして、本当に多くの人に参加してもらえてよかったねという話になりました。プライベートの部分では、釜石よいさというものを一緒に伴奏してきました。その中で大切にしてきたのは、「現場を見て、声をきいていくこと」「できること(知恵や資源)を活かして地域をよくしていくこと」最終的には、地域の方々の「自立を目指すこと」になります。

この10年間、社会課題の解決の為にとにかく行ってみる、やってみるということで突き進んできたと思っています。

独立

向野)素敵な地域の仲間と出会えた中で、何のためにここにいるのかということを3年ぐらい前から考えていました。自分が頑張っていけばいくほど、最終的に自立になっているのか、自立できるような仕掛け方をできているのか、この先できるのかと悩み始めました。自分がいることで、地域の為になること、ならないことや自分のキャリア的な話であったり、ライフプランもどのように考えていくかという中で釜石は入っていくのかということも悩みました。

実際、地域の為になるかということはこれから悩み続けることであると思います。でも、その中で独立という選択をしたことで立場が変わりました。東京ベースの会社で来ている人となるといつかは帰らなければいけない。また、帰らなければ、仕事をつくらなければいけない立場となると、ここにいる為に仕事をつくるということになってしまい、ライフワークではなく、ライスワークになってしまう。独立したことでそこの意識からは少し解放されたかなと思います。釜石にいる中で、自立する仕組みをつくれたというのは、独立する際に大きなことだったと思います。

わたしにとって釜石とは?

仕事から暮らしへ

向野)仕事の場所=戦場にきた志願兵のような形で地域と関わってきましたがようやく暮らしの場所になったと思っています。

わたしにとって人生の道しるべとは?

心に従う直感を磨く

向野)なにか迷っている時って、違和感を持って、モヤモヤしていることがあると思います。モヤモヤしていてもその中で何かピンと来た時に、全力を出す。自分の直感に従って行動するということをいままでやってきたなと思っています。これからもそういうことを大切にしたいです。その時に直感というか感性をアンテナ張って、磨いておかなければいけないと思っています。

戸塚)ひらめきではなく、研ぎ澄まされた直感ということですね!    向野さん、ありがとうございました!

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