『溺れるナイフ』
水曜日ですね、今日のマンガは『溺れるナイフ』です。
最初にあえて極端な言い方をすると「この名作をぼくに出会わせたことが罪だ!」と思いました。
中学生、高校生、そのときどきで女友達から何回もおすすめされてきて、気がつけば映画にもなっていたけど
眩しい景色
なぜか、これまでは読んでこなかったんです。でも読んでみたら「なんなのこの物語は!」と思いました。
この良さを伝えるために、ぼくにとっての『溺れるナイフ』はなんだったのか真剣に考えたぐらいです。そこで出た結論がこちら。
「思春期の若者たちを綴ったぼくというおじさんにとっては眩しい景色」
これが『溺れるナイフ』なんですよ!
全17巻で完結している作品ですが、内容がものすごく濃いです。出来事がとにかく多い。でも、その一連があって『溺れるナイフ』なんです。
人を好きになること
ストーリーは、主人公の夏芽が小学生のころから始まります。
最初はなんか淡い物語だなと見ていました。チューするだけでもという感じがしていたので、前回の「ハレ婚。」とは全然違うんだなと思ったんです。
でも、引き込まれるマンガという意味では同じでした。
突然ですが、人を好きになるときって危ないものに惹かれるっていう感覚が強くあると思います。憧れのような手に入らないものほど好きになりますよね。
この感情を「吊り橋効果のドキドキ」に例えるられることもありますが、実際は相手を好きかどうかよりも
爪痕を残されたかどうかが印象としては残ると思います。
それが好きと嫌いは表裏一体ということだと思うんです。嫌いな人であっても印象には残りますから。
ぼくもよく使う言葉に「愛情の反対は無関心」があります。
好きの反対は嫌いじゃない。「嫌い」と感じることにも労力やエネルギーが発生していますよね。その対極にあるのが「何もないこと」です。だから、愛情の対義語は無関心だとぼくは思っています。
そう考えているので、「危ないもの」「爪痕を残されるもの」は好きに近い感覚で紙一重のものなんだろうなと思いました。
きっと夏芽はコウちゃんと出会ったときから、そんなことを感じていたんじゃないかなと。
付き合うこと
『溺れるナイフ』を読んでいると、好きな人と付き合うことになった翌日は
目の前の景色が「こんなに眩しいのかな」と思うくらいに、変わっていくんだろうなと思っちゃいましたね。
そんな若々しい日々がぼくにもあったのかというと、それはなかったんですが(笑)。
世界が本当に明るく、眩しくなっていくような。なんにもないけど、にやけてしまうような。こうやって「淡く景色が変化していくのもいいな」と思ってしまいますよね。
変わっていく景色
ずっと淡く幸せな恋の物語が続くかというと、そうではないです。火付け祭りの夜に事件が起こり、そこからまた景色が変わりはじめてしまいます。
こうしてみると『溺れるナイフ』は、世界観や人の感情を「景色の変化」で表現されている作品だと感じました。
まず、夏芽が東京から和歌山の熊野に引っ越すことで風景が変わります。
それから、コウちゃんと出会って恋をして、事件が起きて。こういった変化を「景色という絵」で表現されていたと思います。
モノクロの作品なんですけど、そのときどきで「血の色」だったり「黒い憎悪の色」みたいなものを、すごく感じることがありました。
2人を縛りつけるもの
恋愛の話題に「振った」「振られた」というのがありますが、関係が終わっていることには違いないですよね。どの立場も辛いんだと思うんですけど。
夏芽とコウちゃんをみていると「突然の出来事に気持ちの整理がつかないまま、時間だけが過ぎていってしまう」という感覚をすごく強く感じました。
それからの2人は、なかなか次に進めなくなってしまうんですが、きっと「過去に縛られてしまったからだ」と思います。
マンガや恋愛に限ったことではないですが、なにかを進めたいときはやっぱり「過去に決着をつけて、次のステップに歩み出さないといけない」と思うんです。
過去からの延長線のままでは「過去に縛られたままになってしまう」とぼくは思いました。でも、それを風化させていくのにも時間がかかりますよね。
貞操観念
時は流れて、中学生から高校生になります。この頃コウちゃんがグレ始めて、いろんな相手とセックスするんです。
この状況をぼくは、自暴自棄という概念とは違うところにあると思いました。そして「愛情の反対は無関心」と関連している気がするんです。
コウちゃんか恋愛に寄り添っている言葉や感情というなかに、例えば「気持ちいい」ってこともあるかもしれないですけど
「その断片的なものと付き合っているんだろうな」
という感じがしたんです。一概にグレて無作為にセックスしている描写ではない気がしました。本当は向き合いたいけど、向き合えない。人を大切にしたいけど、大切にできない。けど、やることはやっちゃう。みたいなところって、
単純な性欲とは別だと思うんです。
一方の夏芽からも抗い難いものを感じました。もしも綺麗な形でコウちゃんと別れていたら、あのとき大友を選んでいたと思うんですよね。
そうならなかったのは結局「2人とも進歩してなかったからじゃないかな」って。でも、目の前にコウちゃんがいること、いろいろな事が消化できていないこと、そこには好きという感情すらも含まれている。
こういったものがあったから、夏芽のなかに残っていたから「コウちゃんを受け入れたんだ」と思いました。
息が詰まりそうになるコマ
夏芽もコウちゃんもお互いが好きなんだけど、ただ決してうまくいくとは限らないこの物語。
そうしたときに2人は良き理解者なんだけど、お互いの過ごしてきた時間と進んでいく道がちょっとずつズレている。そのズレは時間が経つごとに、どんどん大きくなります。
このコマでは、端的に「お互いが納得したけど...」という葛藤や名残を表現されていると思いました。
ここから先、2人の未来は
ーーーーーーーーーーーここからは、ラストのネタバレを含んだ感想です。
交わらずに、お互い過ごしていきます。切ないです。
ぼくは基本的にハッピーエンドが好きなんですが、マンガに関しては「満足させない終わり方」もいいなって思っちゃうんですよね。
ぼく、ここでめちゃくちゃ拡大しましたもん。
「39歳のときに子どもは産んでるの?」って(笑)。
ここで「なるほど」と思って、ぷーんってページをめくったら完結してました(笑)。
『溺れるナイフ』はどの年齢で読むのかで、受け取り方も変わりそうですよね。
完結した当時、ぼくはUUUMを作ってすぐの頃だと思います。だからですかね「同い年の同じ境遇」とは思えないんですよね。
冒頭で話したように「30すぎたおっさんが思春期の眩しい時間を見て、本当に眩しく感じて終わったな」と。
・・・
── 鎌田さんはこれまでも、高校が舞台のマンガを紹介されていますよね。「恋は雨上がりのように」「君の膵臓をたべたい」「アイル〜I'll〜」でも高校生活という特別で眩しいものをみつめていらっしゃる印象を受けました。
うーん。前にnoteで「過去は伝説化されていく」って書いたと思うんですけど、やっぱり戻ってこない時間って美化されていくと思うんですよ。
悪いことは風化されて、良いことは浄化されて、さらに昇華していくと思っているんですね。
これは、ぼくの考え方の癖かもしれないですが。
仕事のことでうまくいかないことがあったり、個人的なことでもそうですが、いろいろな事でなにかうまくいかないことがあっても、ぼくは世の中にはいつもチャンスがあるんじゃないかなと思っちゃうんですよ。
例えば、ゴルフをしているときもずーっとうまくいかなかったら、とっくにやめていると思います。でも、1回のラウンド中になぜか1・2発良い当たりをしちゃうんです。
だからやめないんですよね、ゴルフって。
ぼくの人生において1年間なにもいいことがなかったら、命を断つというと極端ですがいろいろ考えちゃうと思うんですよね。
このままの仕事がいいのかなとか。
ただやっぱりワンチャンいいことがあると思っているんですよね。ぼくの場合、寝たら嫌なことを忘れるしというのもあるんですけど(笑)。
それでいうと、中学生のときに虐められていたときもありましたし、嫌なこともあったんですが、それも踏まえて自分が成長して強くなっているから語れるんですよね。
ぼくが虐められていたのは、大したものじゃなかったんだって思っちゃいますし、当時は悩んでいたとしても。
こういったことを踏まえても、ぼくにとって1番濃縮された期間が高校生だったのは間違いないです。
今の方が会議とかめっちゃ多いですし、接している人の数も増えたんですけど、高校生のときはもっと考えていたと思うんです。
好きな人のこと、将来のこと、部活のこと、TVのこと、ファッションのこととか。いろいろなことを考えていました。その時間が、かけがえのないものだったなとやっぱり思っちゃうんですよね。
ぼくにとっては大学生活はないですし、中学生活よりは高校生活の方が濃縮されていて、考えたこともたくさんあったんです。だから、学生生活のピークが高校生活なんですよね。
高校生活って、そういう意味を持っているんじゃないかなと思います。
あとは、男の子が男性になるように成長していく過程なんじゃないかなと。そこには肉体的な成長と、環境的な成長が関係していると思います。
義務教育が終わり社会人になること、肉体と精神の成長が重なっていることの全部がセットになって1番ドンッてくるときに、部活ないし恋愛もある。
ぼくらが生きている1年間よりも、高校生活の1年間の方がなにかが多い気がするんです。考えていることや環境から感じることの量みたいなものが。
── それで「眩しいもの」なんですね。
一概に「高校生活が眩しい」とは言えないかもしれないですが、それはリア充かどうかとも違うと思います。
いろんな新しいものに触れて思考し、苦悩していく。そういったものを全部体験できるのが高校生活かもしれないですね。
── それは感受性が育っていくときと、環境が組み合わさっているからでしょうか。
そうです。今のぼくらからすると、どちらかが欠けているんだと思います。
だって、なんか、ぼくはどんどんハードルが減ってきてますもん。高校生のときって、これから大学生になるのか、社会人になるのかっていう選択が待ち受けてましたよね。
でも、ぼくらはもう社会人になった後です。今後は同じように考えることは、ほとんどないと思います。
そうやって考えていくと、高校生のときにはじめて得たものの数と、今のぼくらが日々得ているものの数って全然違うと思うんです。
── それで、ご自身のことをおじさんと仰られたんですね。
おじさんですよ。ダブルスコア以上生きているわけですからね。何も嬉しくないですよ(笑)。
(画像引用元:映画『溺れるナイフ』公式サイト、『溺れるナイフ』 (別冊フレンドコミックス) ジョージ朝倉(著) )
それではまた明日!
最後に。
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