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【読書感想】『裸はいつから恥ずかしくなったか 「裸体」の日本近代史 』(著・中野明)


現代社会では、公共の場で無闇に裸体を晒すことは”恥ずかしいこと”と認識されており、衣服で身体を隠すのが常識となっています。

ところが、かつての日本は必ずしもそうではなく、その分かりやすい一つの例が「混浴」という文化でした。

その混浴文化をスタート地点として、日本の裸体観の変遷を紐解く一冊です。


江戸時代・幕末に来日した欧米人の記録に、日本の浴場で男女が混浴している様子が残っています。

それも山奥の秘湯などではなく、街中の公衆浴場の話。

そして暑い日などは男性だけではなく、妙齢の女性でさえも公共の場で上半身裸になっていることが珍しくなかったそうです。

当時の日本では、裸体を晒すことにあまり抵抗が無く、そのような場所で異性の裸体を見ても”そういう気持ち”にはならなかった、という事でしょう。

いずれにせよ、今の価値観から考えれば驚くべきことで、ちょっと理解の埒外ですね・・・


では、何故その裸体に対する考えが変転したのか、という点を著者が解き明かしていきます。

日本の近代化に伴い、どのように日本人の「裸に対する感情」が更新されていったのかを様々な資料で考察しており、日本の幕末~明治以降の近代化の流れを別側面で見ることが出来て興味深いです。

現代人が疑問に感じるであろう「当時の人々は裸体に対して”そういう気持ち”にならなかったのか?」という点に対しても著者がしっかりと考察しており、なかなか面白い説だと感じます。

何というか、無価値で”そこにあるのが当たり前”とされていたモノも、隠されることで急に価値が高騰するものですよね・・・


単純に近代裸体観の変遷や、その過程で発生した事件等を見ているだけでも興味深いのですが、個人的に考えさせられたのは文化や価値観に対する姿勢です。

ざっくり言えば、日本の裸体観の変化は、欧米の「日本の裸の文化は野蛮で猥雑!」「欧米の文化・価値観こそが最良でしょ」という考えと、明治以降の「欧米の文化の方が良いね!」という政府の方向性ががっちり組み合ったことが一因です。

著者は幕末の時点から動き始めていた欧米側の『自国の文化を最善唯一の基準として他の文化を測ろうとする』人々の動向や記録について考察しており、結果的に日本の裸体観は驚くべきスピードで欧米の価値観により”上書き”されたことになります。

そして変化が拙速であるほど、古い価値観(年配層、もしくは新しい価値観に順応できなかった層)と新しい価値観(若年層、もしくは新しい価値観に順応した層)の衝突等、様々な問題が発生するもので・・・

この辺り、現状の社会情勢のあれこれを見ていると、考えさせられる部分ですね。


そのような近代史の裏にあった文化や価値観を巡る攻防を見ると、

・文化や価値観は絶対的な基準ではない

・そこに上下優劣を見出してはいけない

・相手の価値観を貶めるようなことをしてはいけない

・価値観の押し売りはダメ、ゼッタイ!

ということを自分に戒めて、多様な価値観を許容できる人格を備えないとなぁ、と改めて思うのでした。

言うは易く行うは難し、ですけど・・・




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