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弁当作りと夫婦の愛情

平日のお昼は大抵、自分手作りのお弁当です。
毎日作るのは本当に大変なので、手抜き、手抜き、の日々です。

茹でてあった野菜を、ご飯に乗せて上から醤油とオリーブオイルをかける。あとはミニトマトと糠漬け。
私が作るお弁当の中では、これが1番手抜きかもしれません。

それでも、健康と美味しさ重視のために冷凍食品は使わないので、料理嫌いにしては、まぁ上出来と言えると思います。

今日は、久々に、保温容器に味噌汁を入れて持って行きました。
温かいし、汁物はお腹に溜まるし、具材をたっぷり入れればお野菜も沢山摂れるので、特に冬場のお弁当は、連日汁物です。

今朝味噌汁を温めるのに使ったお鍋は、洗わずにそのままですが、まぁこんくらいは帰宅してからやりましょう。

そうした適当弁当を食べながらよく、インスタで他人のお弁当の投稿をよくチェックしています。

これが結構面白いんです。
「こんな弁当ありなんだ〜」という発見もあるし、「お弁当なんて、みんなこんなもんだよね〜」という安心感、逆に「毎朝ここまで出来るのは凄い!」という感心まで。

私は他人の生活を垣間見るのが好きなので、その人の生活を想像しながら見ています。


最近、恒例のインスタ弁当チェックをしていたら、毎朝弁当を作り、それを毎日投稿していたのに、ここ1ヶ月更新を辞めている人を見つけました。
その方は旦那さん(時々子供にも)にお弁当を作っている方なのですが、投稿が滞った理由は、旦那さんと大喧嘩したからだとか。

その方のお弁当は、凄くオシャレ!という訳ではないですが、毎日色々工夫を凝らして、一生懸命作ってるんだろうな〜と感じるお弁当で、これを毎日食べられる旦那さんは、さぞかし幸せだろうな〜と。
しかも、旦那さんの仕事が相当ハードなのか、それとも職業柄なのか、毎朝2食分(昼と夜)のお弁当を、ちゃんと内容も変えて作っているのです。

これは大変。私なら絶対やらない。
その上、小学生のお子様が3人。基本給食だと思うので、子供の弁当作りは毎日ではなさそうですが、日々の家事、子育てを思うと、私は絶対にそんなに沢山の事は出来ないので、ただただ尊敬の気持ちでいっぱいです。

ところで、旦那さんと、なぜ喧嘩になったかと言うと、旦那さんの発言に、嫁を蔑ろにするニュアンスを感じてブチギレ、「もう弁当は作りません」となったそう。
その時旦那さんに対して、「私は好きで弁当を作っているのではなく、貴方への愛情があったから作っていた。いま、その愛情が離れつつあるので、弁当は作れない。」というような事を言ったそうなのです。
そして、この日を機に、かれこれ10年以上続けた弁当作りをやめて、ただいま1ヶ月程度経ったところ。(今もお弁当作りはしていないようですが、一応は仲直りし、旦那さんが弁当を作りやすいよう、作り置きのおかずなんかを準備しているそうです。なんて偉いんだ…)


「お弁当なんか、本当は作りたくない」そう言う声は、よく耳にします。
それでも、毎日何とかかんとか、お弁当を作っている人(特に女性)は多いようです。

好きでない事でも、誰かへの愛情があればやり続ける事が出来る。でも、愛がなければ、それは続かない。

これがもし、その方が料理が割と好きで、ストレス発散になっていたとしたら、作り続けたのでしょうか?
だとしたら、浮き沈みの激しい愛情になんか依存せず、ただ好きな事をして過ごす方がずっと得だし、楽なのか。

愛とは揺るがないものではないんだな。

日々、それを持続する言動が必要だ。

お弁当作りは毎日の基本的な事。

愛情がなくなるというのは、急に別の人を愛したりするような事ではなく、こういうお互いが共にしている日常生活が失われていく事なのかもしれない。

逆に言えば、誰かへの愛情が生まれるということは、その人の生活の中に自分を当てはめる、または自分の生活に相手を当てはめる事が出来ること。

だから、ひとときの過熱した恋愛や、憧れから始まる恋は、そのままだと上手くいかないのだろう。

お昼休みに、たった1人のインスタ投稿から深い事を考えてしまった。

この教訓が、いつかわたしにも訪れるかもしれない結婚生活の時に、思い出されますように。

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