自己愛≠自己肯定感。自己愛は、自分の短所を隠し、自分の長所を卑下し、そんな自分を人に受け入れてもらいたいと思うこと。自己肯定感とは、自分の短所を素直に受け入れ、自分の長所を素直に伸ばせること。後者でありたい、だがまだまだ前者。
行き場のない思いが宙を彷徨い、積極的な行動を制限される時。それは逆境に立たされ、何でもいいからがむしゃらに行動してみる事を強いられる状況より、うんと辛いのかもしれない。
幸せになりたい。でも、そう"簡単には"、幸せになりたくないような気もする。
日曜夜の電車内、真向かいに座る女性が泣いている(泣きそうな顔になっている)。傍らには、一輪の小さな向日葵。送別会の帰りか何かなのだろうか。安達祐実に似た、可愛い女性だった。誰にだって、何歳になったって、人目も憚らず、泣きたい時はある。もちろん、私にだって。
繰り返す転職、非正規雇用、少ない給料。親への甘え。大人気なく人を傷つける恋愛、結婚はまだしたくない。29歳にもなって何なんだ。一生懸命勉強して、良い高校、良い大学に入って真っ直ぐに生きて来た私の人生はどこへ行ったんだ。いや、違う。この周り道の方が、私の本来の人生なのだ、きっと。
沢木耕太郎の『心の窓』に、中学生くらいの年頃の異国人少女を「自分の美しさに気付いていないという美しさ」と表現している箇所がある。彼女が「自分は美しい」と悟った時、その美しさは、以前とは違う美しさに変化しているのだ。若さの魅力は、"無自覚"にあるのかもしれない。