見出し画像

『量子力学の祖父 ボルツマンの文学作品』(オッペンハイマー外伝)


はじめに

 

 ――すべては確率で支配されている。映画『オッペンハイマー』でも台詞として何度も出てくる言葉だ。これは原子・分子が確率においてダンスをしているという事実だ。現在では自明というべく世間に広まっているが、実は20世紀でも科学者はこの事実に悩み、考察し続けたのは、あまり知られていないのではないだろうか? それくらい、重大で悩ましい事実だったのである。我々が見ている全ての「モノ」が原子という粒々で出来ている。そんな事実は、もはや現在では小学生でも知っていることなのに。

 さて物理学において確率という概念を引っ張り出し、そして現代物理学・現代化学にわたって広大な光を照らした物理学者がいる。

 それは「ボルツマン」という人物である。彼はエントロピー[1]が増大しつづけるという不可逆性の世界のルールが、原子の運動(目に見えない原子という粒々の力学と確率論)で全て説明を出来るという理論を打ち立てた。この偉業からエントロピーの本質は確率だったのだ![2]ということが分かった。

 さらにいえばボルツマンは「原子の確率の世界ではエネルギーが離散的である」ことを述べている。それはマックス・プランク[3]にアプローチとして引き継がれ、量子力学が花開くことになる。

 ボルツマンは世界が確率によって支配されているという事実を理論物理に持ち込み、現代に至るまで原子が実在することのスタンダートを打ち立てたのだ。

 その功績からボルツマンは「量子力学の祖父」と呼ばれている。

 オッペンハイマーも、ラビも、テラーも、アインシュタイン[4]も、彼の偉業の土台の上に立っているのだ。

 とはいえ、原子という目に見えない存在が、ただの作業仮説でなく、本当に実在するのかは大きな論争になった。


≪注釈≫[1], [2], [3]


[1] 世界(宇宙の系全体)ではエネルギーは一定で保存されるが、エントロピー(Δq/T)という謎の状態量は増大し続ける。状態量なのに覆水盆に返らずのごとく、不可逆的に増大する。「ならエントロピーって何なんだよ!?」と多くの科学者が悩んだ。

[2] 鈴木炎著『エントロピーをめぐる冒険』, デヴィット・リンドリ―著『ボルツマンの原子』, 竹内薫著『熱とはなんだろう』を参照。実はここらの話は、ややこしすぎて大学生でもつまずいてしまう人はいるのだが、本質的なことは滅茶苦茶、簡単だ(だからこそ、エントロピーが何者なのか?という謎はおそろしいのだが……)

[3] 実は彼は原子が存在することに最初は懐疑的だった。ボルツマンの影響は大きいと考えられている。

[4]アインシュタインは晩年のボルツマンに論文を送っている。


 

 
この論争ではマッハらの科学哲学的な問題や、ロシュミットらの不可逆性問題といった難題をはらみ、ボルツマンもそれに苦しめられたと言われている。またボルツマンは躁うつ病だったこともあり、最期は自殺してしまう。

 筆者はボルツマンという隠れた科学者について、文学フリマで興味をもってもらいたく、ボルツマンが残した「文学作品」ついて紹介しようと思う。実は彼は科学者ながら、誌を書いて友人や同僚に見せることがあったのだ。また芸術関係にも精通しているようでオペラ鑑賞やピアノを弾くことが趣味だったようだ。

 それでは楽しんでほしい。

1)『天のベートヴェンー合唱冗談』

1)『天のベートーヴェン―合唱冗談』

   ほどなくいたりしところには、清く優しき音!

   されど歌声の響きはわが耳には退屈

   おわかりか、わが創造の火を奪いしもの

   天の歌にはなき強き音

   その強き調べとは、ほかならぬ人の苦しみ。

   激しく響くもの、鉄のごとくに。

デヴィット・リンドリ―著『ボルツマンの原子 理論物理学の夜明け』

≪解説≫1)


 痛みや苦痛から解放されると、ベートーベンでも平凡な音楽しか書けなくなるといった意味の詩である。
 ボルツマンは不器用な生真面目さがあったようで、自分の不幸や不安こそが何か大きいことを成し遂げるための原動力と思っている節があったようだ。彼は哲学が大の苦手であるのに、論敵のマッハに立ち向かうために、相手の土俵である哲学を必死に勉強し、食らいついていたエピソードがある。

2)「エレガンスは仕立屋や靴屋の言うことだ」

「エレガンスは仕立屋や靴屋の言うことだ」

デヴィット・リンドリ―著『ボルツマンの原子 理論物理学の夜明け』

≪解説≫2)

 これは文学作品というよりもボルツマンのお気に入りの言葉だったようである。彼のアプローチはブルドーザーのように猪突猛進である。最終地点のゴールに目指して、とにかく障害物や不明点をなぎ倒しながら、がむしゃらに理論を力業で構築していった。彼が構築した理論と原子の確率論は現象を上手く説明してはいたが、その導出で用いた考え方については、「目に見える観点・直感」から大きく外れている部分もあり、科学を考える上での哲学などといった議論を巻き起こした。

3)「自分は肥沃な火曜日と灰の水曜日に生まれた」

自分は肥沃な火曜日と灰の水曜日に生まれた。

ブルース有機化学(上)p247

≪解説≫-3)

 彼はひどい躁状態と深刻な鬱状態を繰り返していたらしく、あるときには朗らかでユーモアあふれていたが、あるときには酷い、しかめっ面をしていた感情が不安定な気難しい人物だったらしい[4]。ボルツマンの墓には彼の彫刻像があるが、その姿は実に苦悩をたたえた厳しい表情のものである。こちらも文学作品というよりも、ボルツマンが言っていたものが教科書のコラムで説明されているものだが、妙に文学的で詩的なような気がして、筆者はこれを有機化学の教科書で読んだとき何故か震えたのを覚えている。 


≪注釈≫[4]

[4]本記事のヘッダー画像はボルツマンの墓である。彼の顔の険しさは、おもわず熱力学の授業の単位を落としそうになるくらいである。



 以上が、筆者によって調べられたボルツマンの「文学作品」の紹介である。

 三つの内、一つはまごうことなき、文学作品なのだが、もう二つは、ただのボルツマンの詩的な表現の言葉というのが正しいかもしれない。まだ、これ以外にボルツマンの文学作品がある可能性はあるが、自分のリサーチ不足でこれ以上は踏み込めていない。


なんだか出来の悪い学生レポートを書いている気分だ。[5] 


≪注釈≫[5]

[5]筆者は初めは、熱力学の授業は(???)すぎて、教科書の数式を睨めっこしたり、図書館で一般向けの本を読んだりして、うーんうんと唸っていた。そのときよりも、だいぶ頭が悪くなっていると感じる笑(言い訳したいだけ)

 でも当時の科学者も実はうーんうんと唸っていたのだということを知ってほしい。統計力学や熱力学の授業で苦しんでいる学生よ、安心してください。科学者たちも多いに苦しんでいたのです。



最後に


 自分は統計力学といった理論物理が専門ではなく、合成化学が専門の人間である。では何故、理論物理学者のボルツマンのことを実験化学屋である自分がこんなにも述べているのか? 

 それはボルツマンが化学の多くの教科書に必ず出てくる存在だからである。

 つまり、現代の化学というのは、物理学に裏打ちされた「原子」という存在があってこその学問ということである。

 物理化学、量子化学、反応速度化学、錯体化学、有機化学――多くの化学の裏に、彼の存在がいる。

 勿論、その中にはオッペンハイマーもいた(ボルン・オッペンハイマー近似はシュレディンガー方程式を簡単に扱えるようになる。この方程式を解くと、分子のポテンシャルエネルギーが分かり、物性の理解につながる)。

 研究で使っていたNMR(核磁気共鳴分光法)はラビが発見した現象から発展したものだ(医療の現場のMRIはNMRと同じ理屈のものだ)。

 また水爆の父テラーは錯体化学で「ヤーンテラー効果」として紹介されている。触媒化学で学ぶ「BETの吸着等温度式」も工学・工業化学的に重要だ。

ーー世界は繋がっているのだと実感する。僕らと彼らは今も繋がっているのだ。

 少しでも、あなたが「量子力学の祖父 ボルツマン」のことを知ってくださったら、僕は嬉しい。

 あなたの目の前にはエントロピーのダイナミクスが広がっている。それは一つの矢だ。あなたはその矢を拾い上げて走っていく。矢は誰かにリレーのバトンのように貰い、また誰かに渡していく。

 そしてエントロピーという矢は人知れず、増大していくのだ。限界を迎えるまで。

 あなたとわたしはエントロピーで繋がっている。

 過去と現在、未来はエントロピーで繋がっている。

 それを目蓋のうちに光の広がりとして感じつつ、今はもう眠りたい。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?