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黄金期ヨセミテに集った 二人のライバル

『本の雑誌』2017年6月号〈特集=そこに山の本があるからさ!〉掲載

 活字の登山で満足している“活字登山家”の僕が山の本で心から感嘆し尊敬し打ち震えるのは、肉体的な能力とスキル、そして頭がおかしい(褒め言葉)人たちである。

 ドキュメンタリー映画『VALLEY UPRISING』は、ロッククライミングの聖地であるアメリカのヨセミテ渓谷から生まれたクライミングカルチャーを描く。
 1950年代のアメリカは戦後の平和と安心を享受した時代であった。しかしジャック・ケルアックを代表とするビートニクの時代が到来。閉塞感を感じていた若者はケルアックの『ザ・ダルマ・バムズ』(講談社文芸文庫)の中で提唱されたリュックサック革命に同調して、山へ、そしてヨセミテ渓谷に向かった。それまで登山の一部でしかなかったロッククライミングを当時のヨセミテのクライマー、スティーブ・ローパーは「自由にやれず、クソ食らえと思った」と語る。かれらはテニスシューズを履き、電話会社から盗んだロープを使ってクライミングを楽しんだ。ヨセミテに集いし若者たちは反体制的で反社会的。「傷んだキャットフードを大量に買って食べた。まさに人間のクズだった」と語るのはアウトドアメーカー、パタゴニアの創立者イヴォン・シュイナード。

 この黄金期のヨセミテの主役は二人。ロイヤル・ロビンスとウォレン・ハーディングである。
 ロビンスは崇高なスポーツとしてクライミングを把え、古典文学を愛するビートニク。片やハーディングは二日酔いの解消にクライミングを楽しむといった快楽主義者。絵に描いたような正反対の二人がライバルとして挑み合う。
 ロビンスはそれまでのどの岩壁よりも難しいとされた“ハーフドーム”と呼ばれる600メートルの高さの垂直の壁を五日間で完登する。これに対抗したハーディングはエンパイヤステートビルの三倍の高さになる、ヨセミテ一番のビッグウォール“エルキャピタン”に挑戦。途中で飽きては降りて一休みを繰り返し、ハーディングはこのエルキャピタンを18ヶ月かけて完登する。その後ロビンスはヨセミテの主要なクライミングルートを制覇し、クライミングへの心得やルールをまとめた「クライミング規範」を作成。ロープの固定や登り降り、埋め込みボルトの多用やアンカーを所構わず打ち込みことを非難した。しかしハーディングは楽しくなければ意味がないと規範を無視。ロビンスが提唱する崇高なるクライミングに反抗した。
 ロビンスが記した本は日本でも翻訳されている。『ロイヤル・ロビンスのクリーン・クライミング入門』(森林書房・絶版)は、クライミングの教本であるとともに、ロビンスのクライミング教義と倫理が記されている。少し説教くさい部分も感じられるが、偉大なクライミング界の王の言葉は重い。そしてライバルのハーディングも本を出していてその名も『墜落のしかた教えます』(森林書房・絶版)。なんともハーディングらしいふざけたタイトルの本書だが、実は当時のクライミング界への皮肉になっていて、ロビンスやイヴォン・シュイナードを「倫理派のやつら」と名指しで非難し、彼らが押しつけるクライミングの規律と倫理を宗教的だと揶揄する。体制、社会への反発と、自由を求めてヨセミテに集ったクライミング仲間から管理と規律が生まれてくることへの皮肉はとても興味深い。
 1970年、ハーディングはロビンスが未踏であったエルキャピタンのルート“ドーン・ウォール”をロビンスへの当てつけのようにボルトを打ちまくり28日をかけて完登。頂上には報道陣が待ち構え、「なぜ登るのですか?」との質問にハーディングは「イカれてるから」と応えた。
 ロビンスは自らの規範から逸脱したクライミングで制覇したハーディングを認めず、ハーディングが打った300ものボルトを外しながら彼のルートを消していくようにトレースしていった。
 しかしボルトを外しながら登り続けたロビンスは、ハーディングの登攀技術と創造性の高いクライミングに驚く。そして途中からボルトを外すのをやめ、同じルートを登り続けた。ロビンスは敗北を認めたのだ。
 日本でこのヨセミテのクライミングがどのように受け止められていたかがわかる本が『岩と雪 ベストセレクション』(山と溪谷社)である。本書は1958年に創刊され1995年に休刊となったアルピニズムのけん引役雑誌『岩と雪』の総集編である。’77年の記事「誰も書かなかったヨセミテ」はペルー・アンデスの遠征後に気楽に立ち寄ったら“登れない”という手痛い洗礼を受けた吉野正寿氏と林泰英氏のレポート。岩壁の難度もさることながら、ヨセミテで生まれ発達した登攀用具への驚きと、クライミングへの基本姿勢、内面的思考、思想的背景に関心が寄せられている。日本のクライミングと照らし合わせて論じている点でとても興味深い。’87年の記事では山野井泰史氏の放浪記が面白い。ヨセミテのクライミングルート、“コズミック・デブリ”の登頂を目指し、アメリカ滞在中にクルマで寝泊まりしていた山野井氏は、ある日黒人四人に襲われナイフで腹を刺されてしまう。しかし本人がショックだったのは、コズミック・デブリのグレード(難易度)がダウンしたということを聞いた時だというからイカれてる。’92年の記事ではエルキャピタン登攀記もあり、ヨセミテが日本のクライマーに強い影響を与えていたのがよく分かる。
“アルピニズムとは?”といった議論など山と哲学と思考が同居する内容に日本の山岳界の思想の変遷も見て取れるとても重要な本である。

 映画『VALLEY UPRISING』は、こんな言葉で終わる。

“記憶に残るのは仕事や家事じゃないんだ、だからさっさと山に登れよ”
──ジャック・ケルアック

 まるで自分に言われたような気がした。

『VALLEY UPRISING』
2014年 アメリカ Netflixにて配信中
監督: ピーター・モーティマー、 ニック・ローゼン

『ロイヤル・ロビンスのクリーン・クライミング入門』※絶版
ロイヤル・ロビンス/著 シェリダン・アンダーソン/画 新島義昭/訳
森林書房 1,404円 ISBN:978-4-635-88005-3

『墜落のしかた教えます おかしなキミのためのロッククライミング入門』※絶版
ウォレン・ハーディング/著 ベリル・ナウス/画 新島義昭/訳
森林書房 1,058円 ISBN:978-4-915194-02-3

『岩と雪BEST SELECTION 1958-1995 No.1-169 復刻』
池田常道/編
山と溪谷社 3,024円 ISBN:978-4-635-17188-5

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