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東京には余白がない

 洗濯物を干す場所すらない。それが東京という街である。

 場所は東京都大森駅付近。4月なのに20度を記録した日。駅からほど近い住宅街には、この日を狙って多くの洗濯物が干されていた。

 タオルにトップス、靴下まで。この日、たくさん見かけたのは寝具の洗濯物。ただでさえほかの洗濯物でぎちぎちのベランダに、布団が身を乗り出すようにして干されている。とても干している気にならない、そんな光景だった。

 東京には、なんでもない空間というものがほとんど存在しない。すこしの空間を見つければ、そこは駐車場にされ、名前を知らない会社の広告を張られる。東京にはこどもたちが自由に遊べるような公園がないと聞いたが、それもそうだろう。この街で、スペースはお金になる。公園は、お金にならない。ぼくの地元で見かけるような空き地も、それが東京ならば、すぐさまなにかが建つのだろう。

 余白のなさが、人々の心を窮屈にしているように思う。隣接した民家では、お互いの敷地内に洗濯物がお邪魔しないようにと細心の注意が払われる。玄関前の鉢植えも、どこか控え目に置かれている。こどもたちは、道路の真ん中を走ることは決してなく、狭い歩道を歩いていた。 


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