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時を越えて 第1話

あらすじ
 浩介はバイト帰りの終電の窓の外に不思議な光景を見るようになる。その中には不思議な少女がいた。少女は何者なのか、不思議な世界は何なのか。やがて浩介は理解する。少女の名前はリン、未来からきたタイムスリッパーだった。未来で人間は滅びようとしていて、リンの父親が、過去にいって幸せになるようリンをタイムスリッパーにしたのだ。だがそれは失敗で、過去に飛べたのは心だけだった。リンは消えようとしていた。浩介は、ありがとうと言う彼女に叫ぶ。自分もきみと同じになる、そして二人で幸せになろうと。リンは待っているという言葉を残して消えていく。
 浩介は決意する。リンを探し出し、永遠の孤独から救うことを。

1

 車内は薄暗く、人影はまばらだった。くたびれたジーンズとパーカーに身を包んだ安芸(あき)浩介は、シートに座りながら、刺すような隙間風に思わず身を縮こまらせた。
 浩介は、都心から少し外れたアパートで一人暮らしをしている。家族や身寄りはいない。小さいときは母親と暮らしていたようなのだが、浩介が六歳のとき、母親は浩介を置いて出ていった、らしい。餓死寸前のところを近所の人が見つけ、養護施設に引き取られた。以来、ずっとそこで育った。
 施設は十八歳になった年の翌年、出なければいけない決まりだった。だが進学はできず、就職もうまくいかなかった。やむを得ず、今はアルバイトのかけ持ちで生計を立てている。
 せめて、何か目的を持って生きていたいと思うのだが、見つからない。その日を暮らすだけで精一杯の毎日を送っていた。
 今は宅配会社の倉庫で作業を終えて、終電で帰るところだ。こうやって陰鬱な夜の電車に揺られていると、どうしようもなく寂しい気持ちになってしまう。
 ふと顔を上げると、窓の外に真っ暗闇が広がっている。時折り現れては過ぎてゆく灯だけが、電車が確かに走っていることを教えてくれた。 
そんな窓の外をぼんやりと眺めていた、そのときだった。浩介は目を疑った。仕事の疲れも一人身の寂しさも、そのときだけは吹っ飛んだ。浩介は棒立ちになり、窓の向こうを凝視した。
 電車の窓ガラスの向こうの闇の中に、ぼんやりとした光が現われ、その中に一つの景色が見える。それは遥か昔の、戦国時代の合戦のような光景だ。鎧武具を纏(まと)った一群の人々が、草原の端と端に広がり、布陣している。それぞれの後ろには幕営が見え、旗が掲げられている。まるで歴史の教科書から抜け出てきたような光景だった。そして、浩介が唖然として見ている目の前で、彼らは怒涛のように駆け出した。そこでは雄叫びや馬のいななきが、耳も割れんばかりに響いているに違いないが、窓のこちら側には何も聞こえない。ただ向こうに、彼らの戦う様が見えるだけだった。
 呆けたようになって、それを眺めた。
 ふいに、現れたとき同様突然に、その光景がぼやけ出した。そして、まるで電車に置いていかれるように急速に後ろに引いていき、闇に消えた。
 気がつくと、窓の外を眺めながら、ぼうっと突っ立っている自分がいた。外は、さっきまでと同じように夜の闇が広がっている。
 一瞬躊躇したが、思い切って、浩介は窓に触れてみた。ガラスが氷のように冷たい。が、何もおかしなところはなかった。車内を見回してみても、浩介のように、驚いた様子で窓の外を窺(うかが)っているものは誰もいない。
 みんな眠っていて、今の出来事に気がつかなかったんだろうか。それとも……それともまさか、今の光景を見たのは自分だけだったんだろうか。

それから一週間後。浩介は再び終電に乗っていた。あの日から仕事が遅くなることもなく、終電に乗る機会はなかったのだ。
 一週間前と同じ電車に揺られながら、浩介はあのときの光景を思い出していた。
 あれは一体、何だったんだろう……。
 朝と帰りの毎日二回、この線に乗っているが、あれ以来、奇妙な光景を見たことはなかった。窓の外は、これまで何百回と繰り返されてきたのと同じ、沈んだ住宅街が続いている。
 やっぱり、疲れてたからかな。
 今、窓には、外の暗闇を背景に、ガラスに映った自分の姿が見える。
 電車はちょうど、一週間前と同じ辺りに差し掛かっていた。車内は薄暗く、人影はまばらで、まるで先週の様子を再現したかのようだ。

あり得ないとわかっていながらも、浩介は窓の外から目が離せなかった。
それは再び現れた。窓の外の闇の中に、突如奇妙な光が広がり、その中に、ありえるはずのない光景が現れる。けれど今回は、前回とはまったく違う眺めだ。賑やかな江戸の光景だった。髪を結わえ上げた人々が、楽しそうにおしゃべりをしながら往来を行き来している。
 また唖然とした。ゆっくりと目を閉じ、それから開いた。
 同じだった。異様な光景は、確かにそこにある。終電の窓の向こうに。
「……夢じゃない……」
 旋律が背中を走る音を、聞いた気がした。
 こちら側には、当たり前の日常。窓ガラス一枚を隔てた向こう側には、数百年前。そしてどうやら、そのことに気づいているのは自分一人。
 細く息を吸って、吐いた。心臓が、どくんどくんと激しく脈打っているのがわかる。

 浩介は勇気を奮い起こし、忍び寄る冷気を感じながら、ガラスに顔を近づけた。落ち着け、落ち着け、自分、と言い聞かせながら。
 それからゆっくりと、異様な光景の端から端までを見回すと、浩介はもう一度、驚きに目を見開いた。あんまり驚いて、体中の器官が動きを止めちゃったんじゃないか、と思った。
「やっぱり、俺が、おかし、く、なっちゃった、のかな……」
 浩介は、あり得ない光景の中に、あり得ないものを見つけた。
 それは少女だった。
 その光景の中には、大勢の人が動き回っているのだが、その少女は明らかに周りとは違っていた。浩介は窓ガラスに額をくっつけるようにして、少女の姿を凝視した。冷たいガラスを、息が白く染める。
 高校生くらいの女の子が景色の中にいて、往来の様子を眺めている。それだけだったら、そこまで驚かない。胸の鼓動を狂わせたのは、少女の格好だった。その子はまるで、SF映画に出てくるような、不思議に光るブルーの服を着ている。髪は透けそうに薄い茶色。何よりも、少女の不思議な雰囲気が、周囲とはっきり違っていた。まるで一枚の写真の中に、別の写真から少女だけを切り抜いて、貼り付けたかのように。
 浩介はその姿に釘付けになった。するとふいに少女が振り向き、浩介を見た。
 目と目が合った。それは一瞬のことだった。すぐに光は、前と同じように、急速に後ろへと流れ出した。
「あ……」
 浩介のかすかな声は、光の流れ去る勢いにかき消された。不思議な光景が、少女の姿が、闇の中へと引いていく。 
 気がついたときには、窓の外には、いつもと同じ夜の闇が広がっていた。浩介はその前で、一人立ち尽くしていた。車内はさっきまでと何も変わらず、浩介のように窓の外をじっと見ているものはいない。
 前と同じだ。今の異様な光景を見たのは、浩介だけだったのだ。

その後、またしばらくの間、終電に乗る機会はなかった。朝や、帰りでも終電の前の電車では、あの不思議な光景を見ることはなかった。
けれど、再び終電に乗る機会が訪れた。

仕事で疲れていたが、眠気は感じなかった。もうすぐ、あの奇妙な光景が見えた辺りに差し掛かる。
 手に汗が滲(にじ)む。緊張している。今度は、自分はそれを待っているのだ。鼓動が胸を痛いほどに打った。
 浩介は待った。闇の中に、奇妙な光が見えてくるのを。見えてこないのを。「どっちだって、驚かないぞ……」
 そうだ、何も現われなかったとしても、なんてことはないんだ。だってそれが当たり前なんだから。
 だけど浩介の、そんな気構えも無駄だった。三度、浩介は、考えを失って言葉をなくすほど驚いた。
 闇の中に、ぼんやりとした光が広がる。それはこれまでと同じ。しかし今日その中に見えてきたのは、SF映画に出てくるような未来世界だった。林立する銀色の超高層ビル群、その間を縫うように走るハイウェイ。その上を銀色に光る乗り物が、滑るように走っていく。
 そしてその中に、浩介は見つけた。あの少女の姿を。浩介の目は少女に吸い寄せられた。
 驚いたことに少女は、ビルの屋上の端に座っている。茶色の髪を無造作になびかせ、折り曲げた膝に頬杖をつきながら、座って、街の様子を眺めている。
 浩介は、少女に引き寄せられるように窓に頬を寄せる。ガラスに両手をつき、口を開く。
 自分は、一体何を言おうとしているんだろう。
 少女がふいに振り向いた。まるで浩介の、声にならない声が聞こえたかのように。
 二人の目と目が合う。少女が口を開く。何か言ったようだった。少女は体を乗り出した。浩介は、「危ない!」と叫んだ。その声が合図だったように、ゴォッという音がして、強い風が吹くようにすべてが後ろへ流れ出した。高層ビル群もハイウェイも、少女も。
 すべてが闇の中へと、すごい勢いで消えていく。その中で浩介は、自分に向かって伸ばされた少女の白い腕と、大きく見開かれた茶色の瞳だけを最後まで見つめていた。
 一人車内に立ち尽くす浩介の耳に、「おい、寝ぼけるなよぉ」という眠そうな声が聞こえてきた。

それから浩介は、毎日進んで残業をし、自分から終電に乗った。なぜなら、見たかったからだ。あり得ない、非日常の光景を。味気ない日常から離れた、ほんの一瞬の不思議な世界を。それはその線の、終電の、同じ場所でしか見られなかった。
 このことは誰にも話していない。話しても信じてもらえないだろうし、それに確信があった。あれは自分にしか見えない、という。もし他の人間にも見えるのだったら、とっくに大騒ぎになっているはずだ。だけどそんな様子はない。
 浩介だけが知っている、特別な一瞬。それを見たい、感じたい。
 そして実際、終電に乗ると、不思議な光景は必ず現れた。それは一番最初のように、ときには実在の見覚えのある過去の世界。烏帽子を被ってゆったりした服を着た人々が、牛車に揺られていく時代、大勢の人が石を積み上げ、巨大な墓を造っている光景。そしてときには、見たことのない未来の世界だった。公園や人で賑わうショッピングモールの中を、自動清掃ロボットが動き回り、銀色の警備ロボットが闊歩する。もちろん予想がまったく的外れで、それは未来の世界なんかじゃない可能性もある。それでも浩介は、それを未来だと信じた。自分は、誰も知らない未来の世界を見ているのだと。浩介はそれらの光景に見惚れた。
 そしてどこの世界にも、必ずあの少女がいた。茶色の髪をなびかせた、不思議な少女。過去においても未来においても、世界の中でただ一人、周りと違う空気を纏ってそこにいる。二人は必ず目が合った。
 最初に気づくのは、いつも浩介のほうだった。浩介がまず、不思議な光景の中に彼女を見つける。冷たい窓に手をつき、口を開く。けれどいつだって、言葉は喉の奥につっかえたようになって出てこない。すると少女がその気配に気づいたように、振り向く。それから浩介のほうに向かって腕を伸ばし、駆け寄ってこようとする。だけどその途端ゴウッという音がして、すべてが後ろに引いていく……。いつもその繰り返しだった。

 そうやって少女の姿を見ているうち、浩介にはわかってきたことがあった。  不思議な世界の人々は、誰も彼女がそこにいることに気がついていないようなのだ。少女はいつも一人で、誰かと話していることはない。世界の中に一人佇み、ただ雑踏を眺めている。 
 もしかしたら、と浩介は思った。もしかしたら少女もまた、浩介と同じなんじゃないだろうか。彼女はその世界には存在せず、「ただ見ているだけ」なんじゃないだろうか。浩介と違うのは、浩介が電車の窓のこちら側から見ているのに対し、少女は窓の向こう側の「世界の中」にいて、そこを自由に動き回れるということ。だけど、そこの世界の人々は誰も彼女のことを知らない、見えない。
 自分でわかっていた。不思議な世界を見たい。過去や未来の世界を見たい。だけどそれ以上に、自分は。少女の姿が見たいのだ。あの不思議な少女に、ひと目逢いたいのだ。
 浩介が終電に乗る。少女は、過去と未来を現出する異次元のどこかにいる。電車の窓が二つを繋げる。浩介は窓のこちら側から、少女の、どこか頼りない飄々(ひょうひょう)とした姿を探し出す。すると彼女は、浩介に気づいてこちらを振り向く。驚き、そして駆け寄ってこようとして……闇に消える。
 毎日繰り返される、それは一瞬の逢瀬だった。

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