100年前、ポーランドの難民を救った日本
ウクライナの難民が、ポーランドに押し寄せてる。
アメリカ大統領も、人道支援協議のためポーランドを訪問するという。
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今回の件で、ポーランドと日本の縁を思い出す人もいるだろう。
100年前(1920ー1922年)、ロシア革命で生じたポーランドの難民(孤児)を、日本は受け入れた。
1983年、その時の孤児の1人が、お礼を言うため60年ぶりに来日し、話題になった。
2002年、天皇がポーランドを訪問した時も、この時の感謝を天皇に伝えたいと、元孤児たちがワルシャワの日本大使公邸に集まった。
戦中の1940年ごろには、ナチに迫害されたユダヤ人が、ポーランドなどから日本に逃げてきた。
ナチスドイツは日本の友国だったが、密かにユダヤ人にビザを発給した杉原千畝の話は有名だろう。
そのユダヤ人救出は、ポーランドの外交官との連携で行われていた。
ナチに侵攻された後のポーランドでも、危険を冒して、ユダヤ人を匿うポーランド人はたくさんいた。その話を、私はポーランドを旅行したときに聞いた。
ユダヤ人は、ポーランドでも少数派である。
ポーランドはカトリックだし、ポーランド語のようなスラブ語を話せないユダヤ人もいた。
しかし、「人道的理由でユダヤ人を匿ったことを、国民は誇りにしている」と、あるポーランド人が話してくれた。
ウクライナ人の受け入れに対しても、同じ姿勢だろう。
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日本も難民を受け入れるべきだが、慣れないことで、そう軽々は言えないかもしれない。
日本は、難民にも、政治的亡命者にも冷たい国だと、一般に言われている。
しかし、戦前には上記のような美談もあった。
政治的亡命者にしても、金玉均とかチャンドラ・ボースとか孫文とか、戦前の方がたくさんいた印象だ。
古代には、唐に滅ぼされた百済の難民を受け入れた例もある。(白村江の戦いにつながる)
それらには政治的計算があったのだろうが、人道的意味もゼロではなかろう。
日本も本来、外国人に寛大だと信じたい。
日本にとって、排外主義、外国人嫌いという「定評」を返上する、いい機会かもしれない。
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