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マスコミの言うことをきく政治家・文化人

ネットの議論を聞いていると、政治家や文化人を、右とか左とか、あるいは親米とか親中とかに分類しがちだ。

しかし、マスコミに長くいると、そうじゃないんだよなあ、と思う。

それ以前に、政治家や文化人を分ける基準があることが、あまり理解されていないと思う。

「マスコミの言うことをきく」か、「きかない」か、である。


たとえば辻元清美とか福田康夫とかは「マスコミの言うことをきく」政治家だ。

たとえば青木理とか橋下徹とかは「マスコミの言うことをきく」文化人だ。


近年、マスコミの言うことをきかない政治家や文化人がふえてきた。安倍晋三とか百田尚樹とか。そういう人は、マスコミ以外の、ネットとか、「WILL」「HANADA」みたいな雑誌媒体に拠るしかない。

「マスコミの言うことをきく」とは、要するにマスコミの悪口を言わない、基本的には味方する、ということだ。

「マスコミの言うことをきかない」というのは、マスコミの悪口を言いかねない、敵になるかもしれない、ということだ。


マスコミ人は、日頃から、そういう基準で政治家や文化人を見ている。自分たちの味方か敵か。コントロールできるか、できないか。右とか左とかじゃない。

マスコミがどうしても辻元清美に国政復帰してもらわなければ困るのも、そういう理由だ。このままでは、野党をコントロールできなくなる不安があるのだ。

青木理のように「言うこときく」人に少数意見を言わせるのは、ノイジーマイノリティの面倒を防ぐ意味でも、マスコミにとって有用だ。


橋下徹を「マスコミの言うことをきく」文化人に分類するのには異論があるだろう。

しかし、橋下徹はマスコミが育てた有名人だ。自分はマスコミなしでは存在し得ないことは彼自身わかっている。(その点では辻元清美と同じ)

ただ一方で、政治権力との結びつきで、いつでもマスコミを裏切ることができるというポジションを有している。

だから、マスコミとしても、彼がコントロール不能になる不安を常に持っており、橋下は、その不安をうまく利用しているように見える。

という意味で、やはりジョーカー的な存在ではあると思う。


私自身は、マスコミによく出てくる政治家や文化人は警戒する。しかし、出てこないから正しいとも思わない。マスコミがなぜその政治家や文化人を使うのか、よく考えて判断すべきだろう。

最終的には、民主主義なのだから、政治家も、文化人も、そしてマスコミも、人びとが選ぶことができる。適切な距離を保って、支持したり批判したりすればいいと思う。




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