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【書評】『<無調>の誕生』(柿沼敏江著)

第30回吉田秀和賞受賞、ということで、音楽ジャーナリストの林田直樹氏が著者にインタビューした記事をネットで読んで、興味を覚えた。

インタビュー:「無調」が調性音楽を迫害? 20世紀音楽の歴史にまつわる教科書的な常識への疑問(https://ontomo-mag.com/article/interview/toshie-kakinuma/

本を実際に読んでみると、インタビューで期待したほど面白い内容ではなかった。林田氏が柿沼氏にインタビューして、一冊本を作った方が、面白い本ができるだろう。

インタビューで面白いのは次のような部分だ。

<引用>

——一見無調、あるいは複雑な調で展開しているのかなと思ったら、実はシンプルに書かれていたみたいなケースって、プロコフィエフ(1891-1953/ロシアの作曲家)もそうだと聞いたことがあります。

柿沼 核心部分を書いておいて、あとで複雑なものを足していった。それを「プロコフィエフ化」という言い方をするらしいです。

——そうなんですか。面白い。

柿沼 そういう分析を聞いたことがあります。わざわざ複雑にしていった。不協和音化していった。本当は新古典的でシンプルでも、時代に合わせて加えていった。結局、時代の進歩主義的な傾向に押し流されて影響を受けちゃったのかなと思います。そういうことをもう一回冷静に考え直す時期に来ていますね。

<引用終わり>

モーツアルトとかベートーヴェンとか、あるいはワーグナーとかを聞いて音楽を志した人たちが、なぜ20世紀の前半から60年代にかけて、あんなわけわからない「前衛音楽」を書いたのか。

それが長年、疑問だったが、その疑問への答えがこのインタビューの中にある。要するには、それは「流行」だったわけだ。

しかし、本書の内容は、そうした流行への妥協としての「無調化」を主題としていない。上記の「プロコフィエフ化」の話も出てこない。

著者が院生時代にアメリカで学んだ知識を使いまわして書いたような内容でであった。著者はアカデミズムに妥協している。それを突破するだけの力はこの著者にないのである。

というわけで期待ハズレだったが、収穫もあった。

本書で取り上げられた前衛音楽をいくつかYOUTUBEで聞いてみたが、ハリー・パーチを知ったのは最大の収穫だった。

その音楽は陽気で、チャーミングで、私の好みに合った。私が田舎の九州の祭りで聞いたような音楽だ。こういう前衛音楽なら大歓迎だ。もともと著者の柿沼氏は、このハリー・パーチで博士号をとった人らしい。

もう一つの収穫は、「エピローグ」にある、次の部分。

<引用>

アメリカの作家ロイド・ローズは、ビートルズのジョン・レノンの声に「無調」を聴いた。ローズはこのミュージシャンの声が「ぞっとするほどモダン」で、「無調性と情感を抑えた表現力」をもっていると言う。この場合の無調性とは、キー(調)のはっきりしない現代的な響きということだろう。ローズはレノンのモダンで新しい歌い方が「歌唱様式の新しい動向の先駆となった」と述べる。甘く滑らかなポール・マッカートニーの声とは違って・・・(p287)

<引用終わり>

ジョン・レノンの「ぞっとするほどモダン」な声、というのは、私がぼんやり感じてきたことを言い当ててくれている。ビートルズの「無調」的な衝撃は、例えばA Hard Day's Nightが(言葉の意図的な文法的間違いも含めて)典型的に示している。

ビートルズがなぜあれほど成功したかのかは、まだ解明されていない謎だと思う。それは、ロックやポップミュージックの流れだけからは解明できないはずだ。

ジョン・レノンの声の「無調性」は、一部はピッチの甘さと、ブルーノートへの偏向によるものだろうが、それだけではないだろう。

本書でも指摘されているが、20世紀前半の「無調」音楽の興隆の背景には、この時代の科学主義、客観主義の流行がある。

しかし、当然ながら音楽は感情的、主観的でもあるので、その反動がやがて生まれることになるが、音楽が全面的にロマンチックになったというわけでもない。

その潮流の中の「かっこよさ」に棹さしているのがジョン・レノンの声であり、ビートルズの音楽だったような気がする。coolというやつだ。

いずれにせよ、本書の内容が、20世紀の音楽を総体的に見る視点に発展していくと面白い。

なお、柿沼氏の本書に重なる講義は、YOUTUBEで見ることができるが(京都市立芸術大学公開講座)、カメラワークなどが稚拙で、あまり楽しく見られる内容になっていないのは残念である。

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