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なぜジャズは流行らないか

「ミートたけし(川村竜)」さんのYouTube番組「なぜジャズは流行らないのか」というのが面白かった。


なぜジャズが流行らないかといえば、

・渋すぎて、

・閉鎖的で、

・求道的で高級かもしれないが独りよがりで、

・マニアがうざすぎて・・

ミートたけし(川村竜)さんは1982年生まれで、私より20歳は若いのだが、ジャズのイメージは変わらないんだな、と笑ってしまった。

グレン・ミラーのビッグバンドジャズを昼間に演っていて、飽き足らなくなったミュージシャンが、夜、クラブで自分の演りたいように演っていたのが今のジャズ、というミート氏の解説は的確だと思うが、私はどちらかといえば、昼間のグレン・ミラーのほうを聴きたい。

「ジャズって、ポピュラー名曲をバカにしながら、結局、ポピュラーな曲の名曲性に乗っかって商売している」という指摘もその通りで、ビル・エバンスの「枯葉」がいいとすれば、その半ば以上は「枯葉」が名曲だからである。

終戦直後の日本には空前の「ジャズブーム」があった。その中で、マイルス・デイビスとかの影響で最先端のモダンジャズを演っていたプレーヤーは、やがて食えなくなって、流行歌をジャズっぽく、というよりほとんど楽譜どおりに演奏する「ムード歌謡」を録音して糊口をしのいだーーそういうちょっと悲しい歴史を思い出す。

まあ、ジャズが流行っていたら、タモリはずっと山下洋輔とかの周辺でコンサート司会業をやっていて、お笑いに転向しなかったかも。ジャズが流行らなくてよかった、と思ったり。

作曲家・編曲者として活躍する川村竜さん自身が、ジャズベーシストでもあるので、自己批評でもあるだろう。

私の世代では、平岡正明とかのせいで、とくにモダンジャズには、左翼のイメージがあった。それで敬遠していたこともある。「黒人解放の魂」から講釈され、しまいには「資本論」を読まなきゃならなくなる。面倒臭い。

それとは関係なく、音楽としても、距離を置いて付き合ってきた。ジャズは、嫌いではないが、とくに好きでもない。流れていれば、たいがい楽しめるが、CDを買うほどでもない。

定年退職して、昔よりもジャズを聴く時間は増えたが、それはヒマな時間が増えたからで、ジャズが私の音楽時間に占める割合は、つねに携帯市場における楽天モバイルのシェアくらいである。


よい即興と、つまらない音楽


ジャズといえば即興演奏だけど、即興演奏と、楽譜どおりの演奏の違いって、何なのだろう。

バッハもモーツアルトもベートーヴェンも即興演奏の名人として知られていた。彼らの即興演奏を聴きたかった、というのは、我々クラシックファンの永遠にかなえられない願いだけど、その即興演奏は、彼らが楽譜に残した音楽よりも、よかったのだろうか。

彼らが楽譜に残したのは、彼らの脳内で何百回、何千回も「即興」で演奏されて、その中でいちばんいいと思って彼らが選んだ音楽ですよね。

結局、即興演奏がいい音楽なわけではなく、「いい即興」がいい音楽なわけで。彼らが楽譜に残したのは「いい即興」だけだと言うこともできる。

だから、よく言われるように、その楽譜から、あたかも今生まれたような音楽、つまり即興演奏であるかのような音楽を生み出すのが、「いい演奏」ということになる。

つまり、楽譜を読んで音楽をやるか、楽譜なしで音楽をやるかは、本質的な違いではない。

クラシックで、楽譜どおりでつまらない演奏が山ほどある一方、ジャズでも、ロックでも、つまらない即興ほど、つまらない音楽はない。

ガーシュインのつまらなさ


それなのに、「即興」に変に価値を置いて、ジャズの「即興性」を楽譜に表したような音楽は、たいがいつまらない。

クラシックファンとしては、年をとるほどにガーシュインがつまらなくなってきた。

ガーシュインのポピュラーの楽曲は素晴らしいのだが、彼の「ラプソディーインブルー」とかがつまらない。

いや、「ラプソディーインブルー」は、美しいのだけれど、「こういう形」である必要が全然ない、と思ってしまう。わざとつまらなくしているように感じる。

ジャズの才能があるピアニストほど、「ラプソディーインブルー」は弾かないのではないか。グルダも弾かなかった。ジャズが弾けるピアニストがあれを弾くのは才能の無駄だ。

ガーシュインに限らず、ジャズっぽくしたクラシック風の音楽はたいがいつまらない。バーンスタインの「ウエストサイドストーリー」も、ことさらにジャズっぽい曲(coolなど)ほど今ではつまらない。

ピアニストとしてのバーンスタインは、「ラプソディーインブルー」を名刺がわりのように弾いたが、彼はジャズが弾けたわけではない。

晩年のバーンスタインが、ジャズっぽい即興演奏をする映像がYouTubeにある。それを聴くと、いくらジャズっぽく弾いても、彼がどこまでもクラシックの人であることがわかる。音楽の「筋肉」が違うのである。


ドビュッシーやラヴェルにもジャズの要素があるといえば、それはそうだが、ジャズ風を売り物にはしていないので、違和感なく聞ける。

ガーシュインのような「ジャズっぽいクラシック」を聴くくらいなら、スコット・ジョップリンのラグタイムを聴きたい。ジェームズ・レバインが若い頃にジョップリンのアルバムを出していて、しばらく愛聴盤だった。

ジャズピアニストがガーシュインの「ラプソディーインブルー」を弾くのは才能の無駄遣いだが、いいクラシックピアニストがジョップリンを弾くと才能が生かされる。


カプースチンは生き残れるか


ジャズの「即興」を楽譜にした、ひところ脚光を浴びたカプースチンも、生き残れるかは厳しい。

アンコールピースとして「concert studies」の何曲かは時々聴きたいかもしれないが、ニセモノの「即興」なので、飽きが早い気がする。


私も一時期は好きで、楽譜は持っているのだが、もうあまり弾かなくなった。


廃れる音楽ジャンル


結局、こちらはいい音楽が聴きたいだけで、ジャズというジャンルはどうでもいい。

その意味ではクラシックというジャンルもどうでもいい。私にとって、そのジャンルに集まっている音楽に好きなのが多いというだけで。

ジャズに限らず、そういう音楽のジャンル分けはもう無意味で、ジャンルにこだわる姿勢自体がダサいのかもしれない。

ジャズファンにそういうダサいのが多いのかもしれないが、クラシックファンにも負けずに多い。そういうダサいのが滞留するジャンルが滅びていく、ということかもしれないな。


ただ、流行るかどうかというのは、プロとしての、ビジネスの話であって、ミートたけし氏もその観点で話していると思う。

アマチュア演奏家は、自分が好きな音楽を演ればいいだけである。


<参考>
戦後日本のジャズブームについて書いた記事↓


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