メルケルが退任式で「パンクロック」? 1974年の東独で「パンクロック」?
ドイツ・メルケル首相退任式で「パンク曲」
という見出しを見て、最初「パンク曲」って何だと思ったわけですよ。
別の記事を見ると「パンクロック」で、メルケル自身が退任式の送別曲としてリクエストしたのだという。
へえ、パンクロックを? どんな曲だろう、と、退任式の映像を見ると、軍楽隊がブースカ演っている・・・これがパンクロック?
記事によると、曲は、ニナ・ハーゲンの東ドイツにおける1974年のヒット曲「カラーフィルムを忘れたのね」だという。
カラーフィルムを忘れたのね? 何だそりゃ。
それに1974年の東ドイツでパンクロックっておかしくないか?
その時代は私も青春時代だから覚えているよ。パンクの流行は基本的には1970年代の後半だし、早い例であるラモーンズもたしか1975年のデビューだ。
東ドイツで、1974年にパンクロックがヒットって、いわゆる時代錯誤なんですよ。音楽の流行で、東側が西側より進んでいるわけないでしょう。
で、YouTubeで曲を探して聞いたら、なんというか、普通にポップスなのね。ただ歌い方はちょっとパンクっぽい。
要するに、パンク歌手として後に知られるニナ・ハーゲンが東独時代に残した実質的デビュー曲。ニナ・ハーゲンとメルケルはほぼ同年だ(1950年代半ば生まれ)。ハーゲンはその後、西側に亡命し、1978年にファーストアルバム「ニナ・ハーゲン・バンド」をヒットさせる。
「パンク歌手ニナ・ハーゲンの1974年の東独ポップス」という時事通信の表現がいちばん正確みたいだ。
私が戸惑った「パンク曲」という表現も、たぶん曲を聞いて「パンクロック」とは言いにくいので「パンク曲」にしたんだな。
歌詞は、「せっかく行楽地に来たのに、あなたはモノクロフィルムしか持っていない。なぜカラーフィルムを持ってこなかったの。もう!」と、女の子が男の子に怒っている可愛い内容。
カラーフィルムが高くて買えない、東ドイツの現実を皮肉っているとか、独裁国家のわびしさをモノクロームでたとえているとか、言われているみたいだ。まあ、今の若い人は、東西冷戦も、フィルムというものも、知らないかもしれないが。
歌詞を書いたのはニナ・ハーゲンではなく、バンドのキーボード奏者だが、その男はのちに性犯罪者として告発された、といういわく付きの曲でもあるらしい。
しかし、そんないわくがあるにもかかわらず、20歳くらいの時に東ドイツで聞いたこの曲を送別曲としてリクエストし、「私の青春のハイライト」と言って涙ぐんで聞いていたメルケル。
何があったか知らないが、いい話ではある。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?