立憲代表選の情けなさに言葉もなし
旅行中だったので立憲の代表選をフォローできていなかったのだが、家に戻ってニュースを見ていると、もう情けなくて・・・
とくに改憲について、
逢坂誠二「(憲法は)不磨の大典ではない。国民が改正が必要であると言えば、改正の議論はしないといけない」
小川淳也「中身によるし、現実的なニーズに基づく具体的な議論はやればいいと思う」
お前らなあ・・・「こういう国にしたい」というのはないのかよ。それを憲法に書かなきゃいけないんだよ。
国民のニーズに応じて、って、御用聞きか。
理念を追求するからこそ「リベラル」だろう。
そして、国民を説得できてこそ政治家だろう。
「9条が日本の平和を守ってきたのだから、これを変えてはいけません」
と、もう言わないのか。
言うと、恥ずかしいから、あるいは突っ込まれるのが怖いから、もう言わないのかな。
「理由はないけど、改憲はいけません」
朝日新聞や毎日新聞の論説みたいなんだよね。「護憲ではない、論憲だ」とかね。民意を大事に、みたいな。みんな、新聞記者が無責任に言いそうなことだけだ。
私はマスコミにいたから「責任逃れのレトリック」には通じている。彼らは、責任を取りたくないレトリックを駆使している。
この人たちは、自分の言葉や行動に責任を取らない人たちだな、と国民にバレている。
日本の野党は「反対ばかり」と言うけれど、そうじゃないんだよね。
日本の新聞と同じ、「反対しやすいことだけに反対する」なんだよ。
共産党は天皇制に反対なら、そう言えばいいではないか。選挙の時にそう言わないと、民主主義に対する裏切りなんだぞ。
でも、反対しにくいから、言わない。
立憲民主党は、改憲に反対なら、選挙の時にそう言わないといけない。しかし、
「改憲に反対ではなく、『改憲ありき』に反対」
とか、言葉でごまかす。
改憲に反対しにくいから、「論憲」とか言う
自民党はウソつきだと言いながら、自分たちはウソ言い放題だ。
そういうところに国民は不信感を抱くんだ。
政治家の言葉じゃないんだよね。
「議論はしますが、改正はしない」
それじゃ、議論もしなくていいよ。
政治家は、大きな問題では、答えを決めてから議論する、じゃダメなんだよ。
アメリカ大統領と会談する。最初から官僚にもらった「答え」通りの結論しか認めない、のなら、大統領が会う必要がないだろう。
大きなビジョンを持って、議論を恐れず、その場で「答え」を創れる人が政治家だろう。
そういう資質のある人がいないんだよね。
憲法に関していえば、この人たちは、「護憲派」の票だけを当てにしているわけね。
ということは、もう政権を取るつもりはない、ということだ。「護憲派」なんてもう3割いないから。
菅野(山尾)志桜里は偉かったな、と改めて思ったね。
彼女には「法の支配」を日本に確立する、という志があったからね。そう明言していたし、その目的から、改憲や人権法まで一貫して理解できた。
ああいう政治家を「リベラル」と言うんだと思うけどね。正しい理念型だ。
立憲に残っている人たちは、リベラルでもなければ、政治家でもない。
もう見ていられない。惨めだから早く解党しろ。
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