見出し画像

煩悩と煩悶 人生の悩みのすべて Netflix 「第8日の夜」

映画を見ていて、本筋と関係ないところで、深く人生を学んだような気がすることがある。

Netflixの今夏の新作、韓国ホラーの「第8日の夜」は、仏僧が悪霊と戦う、映画としては、おどろおどろしいだけの、何かまとまりのない話だった。

しかし、仏教の教えが背景にあって、中でこんなセリフが出てくる。

「人間は、未来に対する不安(anxiety)である『煩悩(ぼんのう)』と、過去に対する痛み(agony)怒りである『煩悶(はんもん)』に、苦しむ」

(引用は記憶で書いているので正確でないかもしれない)

私は大学で、心理学の、臨床に近い分野を主に学んだが、人の精神問題の、このように見事な要約は、見たことがない。

煩悩ーー未来に対する不安

煩悶ーー過去に対する痛みと怒り

若い時は、将来への不安から、「煩悩」に苦しむことが多い。

私のように年を取ると、過去への悔恨から「煩悶」に苦しむことが多くなる。

人間の深い悩み、苦しみは、結局この二つに尽きると言っていい。

「未来」も「過去」も、人がコントロールできない時間である。そのため、その人は、解決のない問題を考え続けることになる。

だから、昔からよく言われるように、「今を生きる」ことが一つの解決になる。

「今」の問題に取り組んでいる時、人は悩む暇がない。聖書にも「明日のことは明日が煩う」と言うとおりだ。

なお、未来への「不安」も、過去への「怒り」も、激烈になると「恐怖」になり、マイルドな形では「悲哀」となる。

何となく悲しい、鬱だ、という時、人は漠然と、未来と過去に引き裂かれて、現在を失っている。

(それゆえ哲学者のハイデガーは、人間を「時間内存在」と呼んで、時間の中に引き裂かれるのが人間の実存的条件だと考えた。人間以外の動物は、そのような悩み方をしないように見えるからである。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?