見出し画像

「資本主義」の先へ ーーベーシックインカムより「ベーシックアセット」

栗原裕一郎がツイッターで「読書人にこういう論調が載るのか・・」と書いていた、岩田規久男と柿埜真吾の対談「真の“リベラル”経済学のススメ」。

中身は、左派のアイドル、斎藤幸平の社会主義を批判する内容(それだけではないが)。

読書紙といえばサヨク、というイメージだったが、団塊世代が完全に引退して、この業界も変わったのだろう。

そして、斎藤幸平は、環境汚染や格差を資本主義の問題のように言っているが、こうした問題は社会主義国のほうが甚だしい、という指摘は正当だろう。

市場競争が働かないので、アカデミズムの中にいつまでも左翼が生き残る、という指摘も、事実だと思う。

その上で、でも私が「社会主義」に期待する理由がある。

最近、「親ガチャ」という言葉が流行った。

金持ちの親に生まれるか、貧乏な親に生まれるか、その格差は一生ついて回る。

(親ガチャ、という考えには、才能などの遺伝も含まれるのだろうが、それはここでは考えない)

それは事実である。

しかし、もちろん、貧乏な親を責めてはいけない。それは貧乏な親のせいではない。そうさせている「社会」が悪い、と思うのは正当であろう。

だから、社会を変えなければいけない、と思うのも当然だろう。

そこで思うのだ。素朴な疑問なのだが。

上の対談でもベーシックインカムの話が出てくる。

しかし、格差を生み出しているのはインカム(所得)だろうか。

定年まで働いてみて思う。収入はそれほど重要ではない。重要なのはアセット(資産)である。

低収入の親に生まれても、高収入な仕事に就くのは、それほど難しくないと思う。

しかし、そういう高収入のやつでも、多くの資産を持った親に生まれたやつには、結局、かなわない。

そこそこの収入があり、貯金をしても、不動産を買えば消える。不動産を持てないまま死ぬ人もたくさんいる。最初から不動産を持っているやつとの差は縮まらない。

資産ーー象徴的には「土地」を持っているか、持っていないか。それが生み出す格差のほうが大きく、決定的だと思う。

ベーシックインカムではなく、ベーシック「アセット」、またはベーシック「キャピタル」が必要ではなかろうか。

配るべきはマネーではない。資産、不動産、土地の再分配ほど、格差解消に有効な手段があるとは、私には思えない。

素人考えだし、そのためにはどうすればいいか、私はわからないが、こういう発想が「社会主義」だとすれば、私は社会主義者である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?