日本最初の「左翼」 奥宮健之
心がふさぐ。今日の荒天のせいだけではない。
不定期に連載している「近代日本『左翼』史」のために、奥宮健之の資料を読んでいるせいだ。
奥宮健之(おくのみや・けんし)は、大逆事件に連座し、1911(明治44)年に55歳で死刑になった人だ。
この人は気の毒な人なのだ。
同じ土佐出身の「有名人」の中で並べてみよう。
板垣退助 1937(天保8)年生まれ
中江兆民 1847(弘化4)年生まれ
奥宮健之 1857(安政4)年生まれ
幸徳秋水 1871(明治4)年生まれ
奥宮は、板垣退助や中江兆民、または幸徳秋水のようになれたかもしれない。少なくとも、環境はそうだった。
しかし、出世できなかったどころか、身に覚えのない大逆罪で処刑された。
しかも、幸徳秋水のような「左翼としての栄光」もなしにである。
処刑5日前に書かれた遺書に、こうある。
「何ら世に功なく、人よりは常に誤解せられ、そのまま墓穴に入るは、終天の恨事なり」
彼は名家に生まれ、板垣、中江のように自由民権運動に活躍し、幸徳秋水のように貧者に同情して社会主義運動を行ったのに、結局、誰からも評価されない終着点に行き着いてしまった。
いちばん重要なのは、自分でも、なぜこうなったのか、最後まで理解できなかったであろうことだ。
しかし、そういう点こそ、私が彼を「日本最初の『左翼』」と位置づけたい特徴なのである。
そういう「左翼」が、その後、日本にはたくさん生まれていくる。それは、映画や大河ドラマでは決して描かれない近代日本史だ。
もう少し、奥宮周辺の文献を読んだあと、「左翼」史を書き継いでいきたい。
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