左派メディアの文化
重信房子の出所で思い出した。かつて某大新聞の役員は日本赤軍だと言われていた。真偽はわからないが、関西の出身者だったから、信憑性があった。
編集委員室には平気に新左翼機関紙が置かれていた。いわゆる左派新聞社は、そんな雰囲気である。
左翼活動家に支配されたマスコミはどうなるか。
私の知っている一例を書いておこう。
記者・編集者は基本、外勤の仕事だ。
普通、営業職などの外勤の場合、その社員が今日はどこで何をしているか、ホワイトボードに行動計画を書いているものだ。
マスコミでも、普通の職場では、そういうホワイトボードがある。
しかし、左翼に支配された職場には、ホワイトボードがない。
誰がどこで何をしているか、基本、分からない。編集会議のとき以外は滅多に会社に来ない。
今は携帯があるからいいが、昔は編集部に電話して「誰々さん、いますか」と聞いても、「いません」「どこにいますか」「わかりません」という答えしか返ってこなかった。
多分、普段から左翼仲間でつるんで、勤務時間内に「活動」している。
ホワイトボードがない理由の一つは、社員に「序列」を作りたくないから、だそうだ。
ホワイトボードなどで、「偉い順」に名前を並べることなどを、嫌悪するわけである。
そういう序列化は、差別であり、悪しき資本主義であり、拒否すべきものなのだ。
とにかく「管理」を嫌う。自分の嫌いな仕事(例えば皇室取材)は職務命令でも拒否する。強要されたら「労働強化(今の言葉で言えばパワハラ)」だと糾弾する。
記者に制服はないが、いつどこで誰に取材するか分からないから、まともな記者は無難なスーツを着ている。しかし、「活動家」記者は、ジーンズで平気で会社に来る。まあ青木某みたいな感じだ。仕事を命じられにくくしているわけだ。
自分たちは「自主管理」だそうだ。
自分たちだけの「共産社会」みたいなものだ。(そしてけっこういい給料を取っている)
そんなふうだから、会社も諦めている。業績は落ちる一方だが、世間体を気にして潰すこともできない。それに、どうも役員室とも通じている。
そんな世界が、いわゆるメジャーなメディアの中にも、まだあった。
彼らには、毎日満員電車に揺られるサラリーマンの気持ちなど分からない。
そんな普通でない人たちが、「政府はけしからん」「日本は腐っている」などと社会に訓を垂れていた。
以上は、私の知っている、少し前の話だ。
今は違っているかもしれないが、報道を見ていると、今も同じではないかと思わせる。
おかしいと思いませんか。
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