その笑顔はいつだって、最高の遺産。
「はい、チーズ!」カメラを向けるとよそ行き顔。たった今、あんなに嬉々として素敵な笑顔だったのに…。
季節が巡るごとに、一緒に梅干しを作ったり、お花見に行ったり、その時々で本人や家族に手渡す手紙や写真。いつも大切にしまわれていて、暇があればそれを眺めている姿は、日頃から傍にいる人間の一人として、とても印象に残っています。そして家族にとっても、その写真はいつかお金には代える事が出来ない財産になったりします。たった今のその瞬間が、きっと掛け替えのない誰かの宝物になるに違いありません。
笑うという行為自体が感情と密接にリンクしていて、面白いから笑うと同時に笑うから面白いという事も出来ます。そんな笑顔は、また他人を笑顔にする魔法です。たとえ認知症であっても、笑顔で接すると、笑顔が返ってくることのほうが自然な事なのです。ふとした瞬間に微笑み返されれば、堪らなく嬉しくなります。笑顔は必ずや自分と他人の心を一様に昇華してくれます。
かといって、ふとした瞬間の笑顔を写真に収めたい自分も、いつからだろう。人前でニコニコと歯を出して笑う事、口を大きく開いてみせることに少しだけ抵抗があります。しかし介護に携わる身として、食事前に唾液の分泌を促すストレッチをお願いする際には、「口を横に開いてイー!」などとやって見せ、そんな心象を抱いている場合ではありませんが。
実は口内環境を整える事が、その人の人生の支えになります。
たとえば、認知症については歯周病菌をマウスに投与する実験において、脳内の原因物質が増加して認知機能障害が悪化するという研究が注目を浴びました。特に歯周病は、近年の研究レベルでも認知症や糖尿病、うつ、心臓病をはじめとしたあらゆる全身症状と密接に関係していることが分かっています。
また糖尿病が認知症の発症リスクを大幅に高めることも理解されていて、近年の糖尿病患者数の推移が認知症患者の推計に役立っています。これらの疾病は相互に関連しており、生活習慣病自体が介護が必要となる要因となります。このことからも歯周病予防は重要です。つまり、歯磨きは心身に対するデトックスであり、歯の健康は心身の健康なのです。
だからこそ口の中を健康に保つ事、それが生活を共にする人間として、そして心身の健康を切に願う人間として、結構気を配っている所でもあります。
認知症になると、食事の仕方が分からなくなったり、食べ物が分からなくなったり、食欲が減退したりします。また歯磨きの仕方が分からなくなって、次第に自分だけでは難しくなります。介護する際にも、なるべく本人の出来る力を引き出しながら、最後の仕上げを行います。そんな介助中にハブラシを噛んで上手に磨けなかったり、歯磨き粉ごとうがい用の水を飲んでしまったり、多くの課題がありますが、それでも欠かすことは出来ない生活の一部です。
食事の仕方や食べ物の認識がうまくいかなくても、一緒に作った好物なはずの梅干しの果肉を少しだけ口に含んでもらうと、そこから思い出して堰を切ったかのように食が進む。そんな風に、唾液の分泌による嚥下状態の改善が呼び水になったりします。うがいが分からずに、出来なくなってきていても、試行錯誤しながらうまく水が吐き出せたときには、介護者にとっても途轍もない嬉しさがこみ上げてきます。
高齢になれば、少なからず飲み込む力が衰えていきます。こうしたことが引き金になって食事量や食べ方に変化が起こり栄養状態が悪化したり、口の中の細菌や食事が気道に入る"誤嚥性肺炎"といった問題を引き起こします。その為、逆に言うと口の中を清潔に保ったり、発声や体操などで唾液の分泌を促す事で、ご飯を美味しく感じたり、飲み込みやすくすることが出来るようになっていくのです。
また歯科医による訪問診療などを通して、定期的に歯の健康のチェックや指導をしてもらっています。自らの歯の検診においても、歯医者さんに行くと出来ていない事は親身に相談に乗りながら、よく磨けているところなど頑張りを評価して声を掛けてくださいます。そうすると俄然、歯磨きに対するモチベーションも上がるのですが、我々の仕事においても同じことが言えます。このような声掛けが、自己肯定感を高めてくれることを痛感します。そして、歯科医で口元が綺麗になると、自然と笑顔が溢れてきます。
介護をしていると、最期の時をお世話することも当然にあります。このような看取りの場面では、食事はほとんど喉を通らず、食べても飲み込む力が無くなっていきます。次第に水分さえも飲むことが出来ずに、口に入れてもムセてしまいます。医師からは「最期に誤嚥性肺炎になって余計苦しい思いをさせないよう、くれぐれも口の中の清潔を保つように。」と厳しく言われます。
口の中がカラカラになって、舌の湿り気さえも無くなり、カサカサと硬くなった皮がめくれてしまいます。口の中の粘膜や分泌物さえも、誤嚥の原因になるので、指にガーゼを巻いて丁寧に拭き取ったり、口腔ケアスポンジで掃除を慎重にしていかなければなりません。直前にしっかりと行ったはずでも、少しでも往診などで口の中が汚れていると、医師より厳しく掃除をするようにと言われます。
この時になると、絞ったスポンジに残った水分を一生懸命に吸い取ろうとされます。その懸命な姿を見れば、これまでの姿を思い出して、心が張り裂けそうになります。せめて逝くときくらい出来るだけ苦しまずに居てほしい。声にならぬ声ながら、目は天井を向き、感謝の言葉を述べられるときには、介護者ならば絶対に分かります。家族や医師によって最期が看取られれば、身体や口の中を再度清めて最後のお別れへと出発されます。
私は大切な人のもとへ旅立ったあとも、きっと天国で笑顔で過ごしてほしいと願っています。そして遺された人々にとっては、故人との思い出や教えなど、多くのものが掛け替えのない遺産となり、偲ばせてくれます。それはあの時の表情だったりするのです。たとえ身体は滅んでも、精神は永続性を持っています。お一人お一人の姿は、今も私の中で生き続けています。笑顔と共に。