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漢字の歴史 その6 行書

甲骨文→金文→篆書→隷書→草書・行書・・・・
甲骨文は「天帝(神)との対話」(=占卜)のための文字、金文は「政治のため」の文字、篆書、隷書は「政治国家のため」の文字となりました。甲骨文字は獣骨に刻まれ、金文は青銅器に鋳込まれたり刻され、篆書は石に刻され、隷書は石碑に刻されました。草書は漢の時代に隷書の早書きによる簡略化が進み章草、行書と共に発生しました。当時、正書体(国が定める書体)である隷書は公式的・儀礼的なもの(公文書・石碑の書)に、日常的には草書が最も多く用いられました。それぞれについては漢字の歴史「その1甲骨文」、「その2金文」、「その3篆書」「その4隷書」「その5草書」をご覧ください。

行書は楷書と草書の中間の書体です。起源は、草書と同じく漢代で、隷書の早書きによる簡略化の中で行書は生まれました。4世紀の東晋時代の王羲之によって書体的、芸術的に完成されたといわれています。

行書の特徴
楷書に近いものから草書に近いものまである
曲線的である
点画が連続することが多く、筆脈が実線となることが多い
点画を省くことがある
点画の形や方向が変わることが多い
筆順が変わる
楷書より早く書けて、草書と違い読むことができるので、現在も日常の手書き文字では行書がよく使われている

行書の代表的なもの
東晋 王義之(307~365) 「蘭亭序」
行書の名品
永和9年3月3日に王羲之が文人墨客を会稽山の蘭亭に招き、曲水の宴を催した時に作られた詩集の序文の草稿

唐 褚遂良(596~658) 「枯樹賦」
北周の詩人・庾信(ゆしん)の名文とされる「枯樹賦」を書いたもの

唐 太宗(597~649) 「温泉銘」
驪山(りざん)温泉の霊効や風物を述べたもの
王羲之の書が根底にある

唐 顔真卿(709~785) 「祭姪文稿」
安史の乱で殉じた兄の子顔季明の霊にささげた祭文の草稿

次回は楷書について書きたいと思います。

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