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漢字の歴史 その4 隷書

甲骨文、金文、篆書の次は隷書(れいしょ)が誕生します。

甲骨文は「天帝(神)との対話」(=占卜)のための文字、金文は「政治のため」の文字、篆書は「政治国家のため」の文字となりました。甲骨文字は獣骨に刻まれ、金文は青銅器に鋳込まれたり刻され、篆書は石に刻されました。それぞれについては漢字の歴史「その1甲骨文」、「その2金文」、「その3篆書」をご覧ください。

隷書は中国 漢の時代に国の正書体(国が定める書体)となった書体です。
戦国時代後期に発生し、秦代から前漢初期に成長してきた隷書は、篆書を簡素化して直線的に構成したことで生まれました。
秦の時代の篆書は曲線と整斉な形で構成されていたため、書くのがたいへんな書体でした。
そのため、秦代では業務の効率を上げるために篆書を簡略化した過渡的な書風「秦隷」が公文書でも用いられるようになりました。
前漢前期には篆書から隷書へと変わっていき、秦隷と、草書へと変わっていく「草隷」、秦隷の要素(字画が均一な太さ)を残した「古隷」、装飾的な波磔(はたく)をもつ「八分」(はっぷん)など、多様な書風に発展しました。これらの移り変わりは当時の手書き文字「帛書(はくしょ)・木簡・竹簡」で確認できます。
(帛書は絹に書かれ、木簡は木を細長く切ったものに書かれ、竹簡は竹を細長く切ったものに書かれています。)

後漢になると漢としての自立度が上がり、秦の正書体である篆書体にかわるものを模索し始めました。それが波磔を持つ「八分」(隷書体)です。つまり「八分」は漢の正書体=「政治国家のための文字」となりました。
この時代は記録を石に刻み半永続的に残すことが流行り、隷書を用いた碑がたくさん作られました。
隷書は装飾性が高いので、現在では新聞の題字、お店の看板などに使われています。

隷書の変遷

秦隷の特徴
代表的なもの「雲夢睡虎地秦簡」
字画が刷毛で書いたように均一な太さ、字体は篆書体よりで、波磔はない

草隷の特徴
「帛書・木簡・竹簡」に見られる
点画が省略されている
早書きのための書体のため躍動感がある

古隷の特徴
代表的なもの「開通褒斜道刻石」
横画が水平、字形は篆書より扁平、波磔はない

八分の特徴
代表的なもの「曹全碑」
主に直線と鉤状の折れ線によって成っている
扁平である
波磔がある

漢字の変遷

次回は草書について書きたいと思います。


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