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漢字の歴史 その2 金文

甲骨文の次に誕生したのは青銅器に鋳込まれたり、刻された金文です。
青銅器は祭礼のための器です。
(甲骨文については漢字の歴史 その1をご覧ください。)

金文は中国の殷代の第19代王 盤庚(ばんよう)の時代から見られ、殷代末期の第29代王 帝乙(ていいつ)・第30代王 帝辛(ていしん)の時代には長い文章が出現し、西周時代に隆盛しました。

はじめ、青銅器には出自の証や氏族や部族を表す図象(マークのようなもの)が鋳込まれていましたが、時代が進むにつれて王からの賞賜、青銅器作器の説明文、殷周革命に言及した銘文など変化していきました。
東周時代には、配下の将軍たちの戦功を記録する成文も鋳込まれました。

金文の時代、「殷」との戦いに勝利した新しい王朝「周」は、「天帝(神)との対話」のためだった漢字を他の部族との契約に使うようになりました。話し言葉の違う部族でも見れば意味が理解でき(表意文字)、意思疎通ができる漢字は、瞬く間に浸透していきました。
甲骨文は「天帝(神)との対話」(=占卜)のための文字でしたが、金文は「政治のため」の文字となっていきました。金文以降の漢字は政治、国を統一するうえで大きな役割を担っていきます。

金文の特徴

甲骨文と比べると曲線的です。

・殷末 西周初期の金文
字間や行間はそろっていませんが、躍動感があります。
肥筆(ひひつ)をもつ字が多くみられます。
肥筆とは、見た目が絵画的で、始めと終わりが尖り、中ほどは太く肥えた線です。

殷末 西周初期の金文の特徴

・西周 中晩期の金文
金文の最盛期です。
字形・字間・行間が整うようになります。
文字を整える意識が高くなり、点画は均一な太さの線で、文字の大きさは画数に関係なく一定の大きさで書かれるようになりました。

西周 中晩期の金文の特徴

金文の次は篆書(てんしょ)の時代がやってきます。
次回は篆書について書きたいと思います。

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