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漢字の歴史 その5 草書

甲骨文→金文→篆書→隷書・・・・
甲骨文は「天帝(神)との対話」(=占卜)のための文字、金文は「政治のため」の文字、篆書、隷書は「政治国家のため」の文字となりました。甲骨文字は獣骨に刻まれ、金文は青銅器に鋳込まれたり刻され、篆書は石に刻され、隷書は石碑に刻されました。それぞれについては漢字の歴史「その1甲骨文」、「その2金文」、「その3篆書」「その4隷書」をご覧ください。

「その4隷書」でお話したとおり、秦の時代に文字の簡略化がはじまり、小篆をさらに直線化して隷書が生み出され、漢の時代には早書きによる簡略化が進み、章草(草書のように見えるが隷書の要素(波磔)が入った書体、草隷→章草→草書)、草書、行書が発生しました。当時、正書体(国が定める書体)である隷書は公式的・儀礼的なもの(公文書・石碑の書)に、日常的には草書が最も多く用いられました。そのことは、発見された多数の木簡・竹簡の肉筆資料で確認できます。
現在のような草書が確立したのは三国時代を経て4世紀の東晋時代で、その中心は王義之(おうぎし)でした。東晋時代以後の草書はこの規範の運用や抵抗によって多様な表現方法がされました。

草書の特徴
行書に近い形からぎりぎりまで省略された形まである
略化法(簡略化のための点画の省略、部分の簡素化など)を知らないと読むことが難しい
しかし、早書きで書くため、点画の長短・曲直・細太・遅速などの変化が出て、形や線質の表現の違いが出るため芸術としての書に多用されています。

草書の代表的なもの
東晋 王義之(307~365) 「十七帖」
 王義之の尺牘(せきとく)(手紙)を集めたもの
草書の第一の規範とされている

唐 孫過庭(648?~703?) 「書譜」
 文も書も孫過庭(そんかてい)で内容は書論である
 王羲之の伝統書法に則った草書をもって書かれている

次回は行書について書きたいと思います。

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