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僕は大阪に住んで良かったと思う

3年ほど住んだ大阪を離れ、東北の地に引っ越してきた。僕の地元に戻ったかたちである。県外で経験を積んでいずれは帰るつもりではいたが、結果としてまあまあ予定よりも早く帰郷した。引っ越しはほとんど終わって、残るは大量の本をどこにしまうかという難題を解決すれば、それでよし。なんとかようやく生活のリズムも生まれつつある。

いわゆる、新生活である。

地元には、車で帰って来た。大阪から3日かけて、ゆっくりと車を走らせた。一気に夜通し走ることもできたが、20代の半ばにもなって無理することもないと考えて、お金の力を借りながら北陸を旅しながら歩を進めた。やはりこちらは、建物の高さが低い。だから、空がいつも以上に広く感じられる。

東北で生まれ、東北で育った。だから、この空の広さが僕の当たり前だ。

そう考えると、大阪の大都市は見渡す限り建物であった。「コンクリートジャングル」という言葉が、まさにふさわしい。とはいえ、その名は首都東京には敵わないのだろうけど、東北の空の広さで育った僕からすれば、どちらも似たようなものである。

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高生時代、僕は大阪のような大きな街で住み働くとは考えてもいなかった。

なぜかはわからないが、都会嫌いみたいなかんじに育った。親も別にそんな教育はしてこなかったのだが、どこかで「都会 vs 田舎」で比べている自分がいた。現に最初の就職先は地元から近いところだったし、田舎への変な偏愛みたいなものはあったと思う。

だが、いろいろあって大阪に住むことに。

3年ほど住んで思うのは、大阪はすみ良い街だということである。まあ一言に大阪といってもいろんな地域があるのだが、僕はわりと賑わいのある中心部に近いところに住んでいた。ごみごみしていたし、汚いし、人々の口調は強めだし、、、いろんな意味で最初は好ましくなかった。でも、「住めば都」とはいったものである。毎日の生活を、僕は確かに楽しんでいた。

僕が考えるに、都会の一番の利点は「選択肢が多様である」ということだ。単に「スーパー」「デパート」「銭湯」といっても、多種多様なものがあってそれぞれに良さがある。目的や気分によってよく行く場所を選んだものだ。

そのなかでも特に、八百屋さんは使い分けた。家から近いところにいろんな八百屋さんがあったから、自転車でぐるっとしてからいいものや安いものを選んで買った。ときとして100円も200円も違うことがあるのだ。なかなか目にすることのない野菜やフルーツもあったし、週末の一つの楽しみであった。

お風呂屋さんも、使い分けた。とりあえず疲れたときはあそこ、ガッツリサウナに入りたいときはあそこと、こちらも選んで通わせてもらった。選択肢があるというのは、楽しいことである。そんでもって便利であるから、人々はすみ良いと感じるのではないだろうか。

そりゃ、若い人が田舎を出て賑わいのある別の地域に出ていくわけである。

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「選択肢の多様性」という観点から、人々が都会に集まるのは自然なことである。都会が苦手な人もいるだろうが、一度住んでみたらその便利さに包み込まれて、都会もいいな〜となるのではないだろうか。そういう意味では、僕がかつてから思っていたことと逆のことをしたおかげで、そんな学びが得られたのは大きいと考える。東北にとどまっていたら、その価値観しか得られない可能性が高くなるわけだ。

思い切って、よかったと思っている。

おかげさまで、第二の故郷ができた。また大阪に遊びにいきたいと思うし、まだまだ大阪で行きたい場所も経験したいこともある。会いたいと思える人たちにも出会えたのは、僕のこれからの財産になるだろう。そんな人たちには住所を聞いてきたから、ここ東北からいろいろと送りつけたいと思う。

そんなことを、東北の広い空を眺めながら考えた。

2024.04.18
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