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【趣味】私は一生幸せになるためにガンプラを作ります(第2話)

まずはじめに

題名を読んで「さぞかし力作の写真が見れるのか?」と思われている方には、期待させてごめんなさい。

文 字 の み で す w

そのうち作品の画像もアップできればとは思っております。

(全3,333文字)

ー今から約20年以上前ー

(詳しい年代はあえてボカします。)

某・有名模型雑誌の誌上コンテストで私が入賞した時のお話です。

当時20代後半だった私は、仕事もだんだん落ち着いてきて、心にも経済的にも余裕ができはじめた頃でした。

社会人になるとお金が入ってくるんで、子供の頃には買えなかったものが、その気になればなんでも手に入る。

プラモデル

高価なエアブラシやコンプレッサー

工具やマテリアル

買い放題ですw

当時はまだインターネットが普及し始めるちょっと前で、情報源はほぼ雑誌などがメインでした。

社会人になって返り咲きモデラ―になって、模型雑誌も数冊定期的に買ってました。

そのうちの一つの模型雑誌で素人向けのコンテストをしているのは知っていたのですが…

「そもそも、こんなのに応募しても、ぼくなんかが入賞できるはずないし(笑)見てる方が楽しい(笑笑)」

そう思いつつ雑誌をただ読んで楽しみ、何回か大会が終わった時の事です。

途中経過は省略しますが、返り咲きモデラ―として市販キットを普通につくるのが少々物足りなくなっていたのもあって、雑誌の作例をお手本に改造などに手を染め始めました。

たまたま完成したものを近所のいきつけのプラモ屋さんに持って行ったところ、そこのおばちゃんから言われます。

「かけうどんクン、これメチャクチャ出来いいじゃないの、どこか大きな大会とかに出した方がいいわよ」

『そうかなぁ~、ヒマやし応募してみようかなぁ~』

てなわけで、写真屋さんに持ち込み、写真撮影をお願いしました。
(応募が写真審査だったため)

写真屋さんもこんな依頼ははじめてだったらしく、色々と試行錯誤しつつ良い写真を何枚もとってくれました(笑)


テーレ、テッテッ、テレーレーン(←ドラクエの宿屋の音楽)


数か月後…


ある日、突然、ピュルルルルと携帯電話(アナログの初期タイプw)が鳴ります。

「月間ホ○ージャ〇ン編集部の〇〇と申しますが、かけうどんさんでしょうか?」

『え?あ、はい。…え?』

「知らない人について行ったらダメ!」と、お母さんに言われて育ったので、知らない人からの電話にちょっと警戒しました(笑)

電話の趣旨は、なにやら『オ〇〇ク選手権の最終選考に残ったので、現物を送って欲しい』というものでした。

正直、その電話がかかってきたころ、私は自分が応募したことすら忘れていましたw

訳が分からないまま、急いでプチプチで作品やベースを梱包して送ります。

結果は本誌掲載号を送るので、それを見てくれとのことでした。

それから何か月か経ち、またも荷物を発送したことも忘れかけていたころに、いつも買っている雑誌が編集部から送られてきました。



『〇賞』(←3位以内)



…………マジかっ!?



嬉しい出来事のはずですが
そもそも入賞を目指して応募したものではなく
大きな評価が欲しかった訳でもない
なんとなく応募しただけだったのに

正直、感動や喜びよりも、あっけにとられた記憶があります(笑)

この大会は、即戦力になるプロモデラーを発掘するという側面もあったので、趣味でありながらも「将来はプロモデラーになりたい!」という若者が自分の技術と情熱を注ぎこんで応募するような熱い企画です。

いわば【プロモデラー志望者の登竜門】的な大会。私のような返り咲きサンデーモデラ―が出る幕ではないと勝手に思い込んでいました。

後日、とある方から伺って知ったことなのですが、(当時の理論にはなると思うのですが)コンテストに入賞するには一定のパターンのようなものがあり、たまたま、私が作ったものがそれにうまくハマってたのだろうとのことでした。(詳しくはここでは書けません。ごめんなさい)

入賞後は漏れなくプロデビューする方が多いのですが、困ったことに私には仕事があり、東京の編集部に頻繁に通って作例についての調整を行うのは物理的に厳しかった。

当時の私の担当編集者さんからは、「締め切りのスパンが長いものからどうか?」とも誘われたのですが、その結果も含めて諸事情があり、詳しくはここでは書けません。

最終的に、私は大好きなプラモデルを作ることを仕事として選べる最大のチャンスを、そこでは選びませんでした。当時、前後の大会で入賞された方々は華々しく誌面を飾るモデラ―としてデビューした方も少なくありません。

後に、何人かのプロモデラーさんから「好きなことは仕事にはしない方がいいよ」と言った言葉も頂きましたが、正直諦めきれない自分と、今まで通りの仕事をしながら趣味でプラモデルを作る、今の自分のままの方がいいんじゃないか?と言う2人の自分がいました。

どちらが正解だったかはわかりませんが、少なくとも、東京に行かなかったことで今の妻とも出会い結婚できたわけで、もし、東京に行っていたら違う未来に行っていた可能性もあったかも知れませんが、今の生活はとても幸せですし充実もしているので後悔はありません。

母の教えですが、

「人は常に何かを選択しながら進んでいるけれど、悩んで選んだり、悩まずに選んだり、普通に選んだり、どの選択も実は自分にとって一番いい選択をしているものなんだよ。」

私は、今の仕事が好きです。

役職が上がって精神的負荷がピークに達して潰れかけたことも何回もありましたが、それは人と人の問題であって、仕事そのものが悪い訳ではない。

私は今の仕事そのものが好きなんです。

本業をしながら好きなことも全力でやっておられる方も少なくはないと思います。そういう生き方もとてもすてきだなと思います。

ただ、私はそれほど器用ではありませんでした。

なにしろ「うし」なものでw

モ~………

いつの間にか仕事のウェイトが大きくなり、転勤するたびにプラモ関係の荷物も少なくなり、年間に完成させる作品もどんどん少なくなっていきました。

今では贈答用に上司とお別れするときに渾身の力作をプレゼントするくらいになっています。模型雑誌も気に入った月以外の本は買っていません。

仕事での補職や勤務の負荷も、年齢とともに頂上を過ぎました。
時間の使い方もある程度うまくできるようになりましたし、そのおかげで株式投資やダイエットに割く時間もとれるようになってきました。

最近思うのは、そろそろ、またプラモ作り出そうかな?と。
水星の魔女シリーズのキットもだいぶ数が揃ってきましたし。
とりあえず、1/100エアリアルが欲しいw



【最後に】
この記事は、当初、自分の中での心の移り変わりや、これから先の将来のことなどを考えようとしたときに、「答え合わせ」をするために文字化しておくつもりでぼちぼち書いていました。

書き始めから公開までだいたい1ヶ月弱くらい経過しています(笑)

記事を書きながら少し疑問に思ったので、「コンテスト入賞の秘訣」などのキーワードでいくつか検索してみました。

プロモデラーさんが書かれているTwitter等のSNS、ヤフー知恵袋などで、だいたい予想していた答えや、既に知っている情報がかなり網羅されており、それらと似たようなことをを書いても喜ばれないかな?と思ったので、コンテストへの応募にあたっての攻略法とか、入賞するためのノウハウなどは、あえて細かく書きませんでした。

需要があるなら、そういうネタも記事にできるのかな?とも思いましたが、何しろ20年以上も昔の話を今更書いてもなぁ…というのもありました。

ただ、いろいろネットを調べてみて分かったことがいくつかあったので、その辺も踏まえて、この続編はまた書いてみたいなと思います。

恐らくかなりの文字数になると思うので、余程好きな人にしか読んでもらえない可能性は十分にあるのですが…w

趣味の記事としつつも、まだ作品の画像を載せようかちょっと迷いもありますが、noteの記事といっしょで、そちらも「ぼちぼち」やっていければと思います。(押入れ漁れば完成品なんぼでもあるんですがw)

今回は少々長くなってしまいました。すみません。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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