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パレスチナの教育程度の高さにびっくりした話
パレスチナの人の教育程度はかなり高いといわれている。大学院やその先まで進学する人は世界基準で見ても多いし、女性のほうが男性よりそのパーセンテージが高いらしい。
教育は、どんなに社会が不安定でも人生のお供に持っていける資産だから。
そんなパレスチナでジャーナリズムを専攻するジーナさんと、日本に留学して神経科学を研究中のワジドさん(この記事参照)に来てもらって、コロナ下の「大学での学び」について考えるオープンディスカッションをすることになった。
来週に迫ったイベントを前に、パレスチナの人たちと”教育”のことを改めて考えて、思い浮かんだ人の話がある。
ホストファミリーの姉は3人のお子さんを抱える母親だ。大学を卒業してから10数年は経ち、英語にも久しく触れていなかったというが、初めて会った2年前の夏、彼女の存在はとても大きかった。一番下の子はまだ5歳くらいで、育児も大変ななかいつもウンミ(母)との間に入って通訳をしてくれた一人だからだ。
今から一年前にパレスチナで刺繍のリサーチをしていたとき、慣れ親しんだウンミの家ではなく、私は調査の都合もあって彼女の家に滞在していた。彼女はそのときこう話していた。
チー(私)が帰ってから、この一年間一度も英語を話す機会がなかった。
だから話したいことがあってもなかなか言葉が出てこないのよ
確かに再会してほんとうに最初のうちは、英語を思い出すのがしんどそうではあった。けれど、だんだん自然になっていった。
元々、ネイティブスピーカーのようなスピードでは私たちは会話しない。あの特有の「英語らしさ」のようなものは無いかもしれないが、お互いの間でコミュニケーションは十分取れている。そう、彼女の英語は言いたいことがよく伝わる。
その日テレビではYou-Tubeのまとめが配信されていて、耳が聞こえない子どもを持つお母さんが、その子の音楽への初めての反応に感動する様子が流れていた。観ていた私は、
「お母さん凄い。私はこんな風になれるか自信がないなぁ」
と感想を漏らした。すると彼女は、
人は、その状況に置かれればなんとだってやってのけるのよ
と、とても簡単な英語を使って私に言った。
「英語に自信がない、久しぶりだ」と日頃言っている彼女の口からこうした深みのある言葉を聞いたことに、”教養”は難解な言い回しや語彙にではなく、言葉の中身に備わるのだと思った。
何重もの苦労やストレスを抱えているパレスチナの女性としての姿も見ているから、尚のことその一文は凛として映った。
今度イベントに来てくれるジーナさんもワジドさんも、優しさに一本筋が通った教養を愛する人たちのように私は感じている。
そんな彼女らと「学び」について、一緒に意見を出し合えたら。探しているのは答えではなく、彼女らと参加するみなさんとの間に生まれる気づきの瞬間なのです。
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架け箸はこれからも継続的にパレスチナを訪れ、日本に出回らない生の情報を発信したいと思っています。いただいたサポートは渡航費用や現地経費に当てさせていただきます。